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なぜ , 座禅をする必要があるのか?なるほど , 確かにイマイチ腑に落ちていなかった. 世間で座禅だ , 内省だ , セルフアウェアネスだ , ともてはやされているが , なぜ?今回理由の一つが私なりに出たので記録しておきたいと思う. 1週間後には違うことを言っているかもしれないが.

 

心や体の僅かな変化を捉えるためではないだろうか.

 

「禅」とは何か?

あえて一言で申せば , 「なりきり」ということです.
「なりきり」とは無我無心の境地であり , これこそ悟りの世界に最も合理的に通じる手段なのです.

引用元:http://www.saikoji.net/ques/ques12.html

 

この「無我無心の境地」というのがポイントだと思う. 例えば座禅をしていると分かる. 自分の呼吸や鼓動 , 周囲の音 , 風が吹いていればその風による肌の感覚.

日々仕事に追われているとこういった感覚をつい忘れてしまいがちである. 歩いている時 , お風呂に入っている時 , あまつさえご飯を食べている時でさえ何かを考えている. 歩いているとき , 足の裏から伝わってくる大地(ほとんどコンクリートだけど!!)の感覚. お風呂に入っている時 , 肌で感じる水の感覚 , 手で感じる洗う際の体や髪の毛の感覚. ご飯を食べている時 , 舌で感じる味 , 匂い.

私たちには五感(もしかしたら第六感も?)があり , 自分の周囲から様々なメッセージをいただいているのにそれを無視している. そして , 無視し続けた結果 , 無感になっているような気がする.

自分の周囲だけではない. 内省という文脈では , 自分の内側についても無感になっている. 感情の僅かな変化 , 喜び , 怒り , 愛おしい , 楽しい , もっともっと豊かに感じることができるはずなのに , 無感になっている現実がある. この結果 , たとえば , 「○○さんは何が好きなんですか?」とか「どういったことをしているときに喜びを感じるんですか?」と言ったことを聞かれたときに , とっさに答えられない. 勿論 , 喜び , 嬉しい , といった感情はある. ただ感情の変動度合いとしてみたとき極めて小さく , 微細になっていて , これといって拾い上げることができない.

こんな状態で , 無我無心の禅とは逆の状態である思考する , すなわち , 内省ができるはずがない. なぜなら , 省みる対象を捉えることができないのだから.

禅は座っている状態が基本のようだが , 立っている時 , ご飯を食べている時 , 歩いている時 , いかなる時も可能とのこと. 今のところ座禅をする時間が十分に取れるわけではないので , その他の行動をしている時から禅を開始したいと思う.

座禅、立禅、動禅」への1件のフィードバック

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