フィードバック を友人から得て, 自分をオープンにする

フィードバック を友人から得て自分がオープンになった例

友人(彼は25歳かな)が「大谷友和 さんって今の生活にそこそこ満足しているんですね. なので , 大谷友和 さんは絶対に変わらない」という フィードバック をくれた. 衝撃だった. 無意識ではあったけど自分が大切にしていることの一つを的確に表現してくれた. それ以降 , 少なくともそれ以前よりは自分が言いたいことを言えていると思う. なんだろう. 私の無意識にあったかなり奥のところにある感情を表現してくれたからだろうか. それより手前の感情を出すことに抵抗を感じない. あそこまで表現したんだから , それ以下を表現するのに何のためらいがあろうか?みたいな感覚.

この文脈での友人とは?

この経験以降 , 相手にとって少なからず指摘して欲しくないと推測されるようなことでも相手のことを想いながら フィードバック をしあえる関係(=当サイトにおける友人)を大切にしている. 私の アファメーション 用文章においてもこのことを明記し , またそのような関係になり人との関わり方についても記載している. 会社ではまずない(少なくとも現時点では). 悲しいかな , 大学時代から一緒にいる友達でも , 今思い返せばそういった関係にあるとは言えない. 準備ができていない人に対してこのような フィードバック を与えると , まず拒否反応を示す. 私もある程度受容する準備をしているから何とか受け止めることができたものの , 少し前の自分であれば反論していたように思う. 今はたまたまそういった友人がいるが , 一般論としてそういった友人がいるコミュニティをどうやって作るか , というのは考えていく必要があると思う.

フィードバック になっていない フィードバック

もう一点 , ここは自戒も含めて , 改めて記載したい. MBA等でもそうだけど フィードバック って言葉が躍っている気がする. おそらく(今度確認しよう. . . )最初に使われた文脈では相手にとって少なからず指摘して欲しくないと推測されるようなことでも相手のことを想いながらフィードバック することを指しているんだろうが , 実際はそうなっていない. たとえば , 前記の成績に対して会社の代理としてのマネージャーがどう思ったのかをいうことを フィードバック と呼ばれていることがある. それも勿論 フィードバック に含まれるのだろうが , フィードバック する主体が会社なのであれば , 会社として , その人がどのような人になって欲しいのか , その理想に対してどういった点が今欠けているのか , ということを愛をもって指摘することが フィードバック だと思う.

※2017. 10. 17 追記

それはフィードバック ではなくてモニタリング ですね , とメンタリング のセミナーで講師の方が指摘していた. 確かに.

フィードバック の受容方法

先日妻からもらった フィードバック で , 「貴方は仕事 , 子どもとの関係 , 友人との関係 , 独自に築いているコミュニティ内の人との関係では , 素晴らしいと思うけど , 夫としては駄目だよね」というものがあった . グサッ , っときました . 自分の中では時間の役割(後日アップ)に応じて時間の割り当てを考えていたつもりだったけど , 妻から見るとそう見えているということなんだろう . こういったある程度心に来るフィードバック をどのように受容するか.

私のメンター が教えてくれた魔法の言葉がある.

うけたもう

である. 修験道からきているようで , 私はまだそこについては勉強中であるが , 何らかの言葉をいただいた際には心の中でこの言葉を唱えるようにしている. うけたもう. せかせかと時間をスクロールさせる日々の中で立ち止まり , 身体に受けたものを染み渡らせるための手段としては一考の価値があると思う.

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