貢献感、すなわち自分が「ある」ことで誰かの役に立っているということに気づく

生かされている

実際に言葉を交わした人だけでも膨大な人がいて, よくよく考えてみると , 言葉を交わしたことのない人や 動植物 に至るまで多くのものに 生かされている ことに気づいた. これを他者から見ると , 自分 の 存在 も誰かを 助けている (= 貢献感 )ということになる.

contribution for anyone

contribution for anyone

幸福 を感じるための方法の一つとして

書籍「 嫌われる勇気 」において , 共同体感覚 があると 他者 からの 承認 がなくてもよい. 他者 に対する 貢献感 を感得し , それより 幸福 を得ることができる , と記載されている. そしてその手段として , 他者が自分の行為に対して 感謝 するかどうかは他者の 問題 であり , したがい他者からの感謝を期待するのは妥当ではない.  自分が 貢献 したと信じることが大切 , とのことである.

私のテーマは , 「個人が自分の生を精一杯生きている社会」を創造すること , 言い換えると , 「個人が幸せを感じている状態を作ること」である. よって , この考え方には非常に興味があり , このように書籍で読むと , 「なるほど!」と思うのだけれども , その実現は極めて難しい.

たとえば , 妻の以前のコメントにおいて , 「私の 自己暗示 の中に パートナー (= 妻 )との 相互依存 があったけど , 私は貴方に 貢献 できる気がしない. 貴方の何を埋められるか分からない」というのがあった. 自分のことではなく , 妻のことを例に出して恐縮だが , 妻としては , 「 明確に 」 貢献 していることを自覚できないと , 私に 貢献 していることを妻は感得できない , というのである.

自分も 自己暗示 において 自身 と 他者 とを 分離 することを謳ってはいるが , なかなか実現できていない. 誰かに御礼なり , 感謝 の言葉をかけていただいて , やっと落ち着く自分がいることをまだ認識している. もちろん , 自覚 したあとで , まだまだ 意識変容 の途中であることに気付くわけだが.

どのようにして 貢献感 を感得できるようになるのか?

以前の私が , 「何かしないと!社会 に対して何か 行為 を行わないと!」と 焦っていた 気持ちの理由の一つに , この「 貢献感 」を感得することができない , というものがある.

つまり , 「 嫌われる勇気 」を理解した上で , 他者 と 自分 とを 分離 することはある程度できた. しかし, 貢献感 を自ら感得する パラダイム をもっていなかったので , 他者の力を借りて 貢献感 を感得しようとしていたのである. 今回ある経験をして , 感謝 , 賞賛 , 御礼 といった他者の力を借りなくとも , 貢献感 を感得する パラダイム を得たので共有したいと思う.

私の提案は , 日々の生活を 振り返る ということをしてみるのはどうか?というものである. そして , 自分が「 何をしたか 」だけを 振り返り がちであるが , それだけではなく , 「その行為に関わった人は誰か , どれ程いるか」を 振り返る , というものである. そうすると , たとえば , 一日 生きる だけでも , 一食 食べる だけでも , 相当な数の人によって自分が 生かされている ことがわかる.

 

実体験

前の記事

ここで海を眺めたあと , 自分の 歴史 を振り返ってみた. 具体的 には , 中学1年生 から今日まで年ごと 時系列 に沿って何をしたかを箇条書きで記載してみた. まず , 最初は徒手空拳で思い出しにかかったところ , 学生時代については比較的思い出せた.

しかし, 卒業して 社会人 になってからは学生時代に比べて記録が薄くなった. ただ , 幸いにも社会人になってから使い始めたgmailの送受信記録が残っていたので , それを頼りに思い出してみると学生時代と同程度まで社会人時代の記録が増加した. 次に , 「した」ことそれぞれに関連する「人」を付記していった. 結果として , A4にして10ページほどの記録になった.

これを実践して一つ目の印象は , 思っていたよりも色々と経験してきたなぁ , という感覚であった. 社会人になった後の記憶を書いているとどうしても記憶が仕事中心になりがちであり , 数が増えない. それをgmailによる記録の助けを借りて仕事以外の家庭等での経験を加えると , 学生時代と同程度の経験をしていた. 振り返り をしていなかったことから, これに気づくことができず, 必要以上に焦ってしてしまっていた.

二つ目の印象が , 非常に多くの人と 関わってきた んだなぁ , というものであった. 勿論 , 親しい 友達 もいれば , 大学の実験で一緒だっただけ , ただ話を交わしただけ , クラスが一緒だっただけという人もいる.

この 振り返り では自分が認識した人だけを書いていたのだが , 考え出すと 関わってきた人 の数が膨大になる. たとえば , 中学校 や 高校 で 同学年 だけでも千人くらいおり , その友達たちがその場にいるためには , 彼らの 親 や 祖父母 等の 先祖 がいるのである.

大学で何気に学食を食べていたが , その学食一食を食べるのに , 最後 作ってくれる 人 もいれば , 材料 を 運ぶ人 もいて , その 材料 を 育てている 人がいるわけである.

現在 , 社会人 として 一企業 で働いているが , その 労働 によって自分が 所得 を得られるまでにまず 会社 としての売上が必要なわけで , その 売上 を上げるために , 社内 の 人間 だけでなく , 消費者 や BtoB の 会社 とその 会社 の 従業員 , それぞれの 会社 の 株主 が関係している.

「 生かされている 」感覚から「 誰かを貢献している 」 , つまり貢献感

我々は「 生かされている 」のである. 私は今 電気 と PC を使いながらこのブログを作成しているのだが , この行為だけでも , 誰かに 助けてもらっている のである.

そして , 次が大切であり , 私が最も申し上げたかったことである.

つまり , このように自分に多かれ少なかれ 関わり を 持ってくれた人 が沢山おり , 彼らによって 自分 が 生かされている 事実 があるのである.

このため, 他者から見たら , 「 自分 」も その 他者 を 助けている 一部と 認識 できるはずである. 勿論 , 上述の例のように , その 関係 は 極めて 希薄 で , 実体験 は伴わない.

でも , 確実に , 私たち一人一人の 存在 が , 「 ある 」ということが , 他者に 貢献 できている. すなわち , 観念的 と言われるかもしれないが , ありとあらゆる人間同士 の関係において 相互依存関係 が全く無いなんてことはない.

自分 が多くの 他者 に 生かされている ことを 認識して , そこから逆算的に , いついかなるときでも 自分 の 存在 が 他者 に 貢献している, ということを 認識する , という手法を採った.

振り返り を行い , 自分 を 生かしてくれている 沢山の 他者 の 存在 を 認識 したとき , なんだか 敬謙 な気持ちになり , 感謝 があふれてきました. 是非お勧めです.

反省

一つ反省です. 動植物 , 静物 についての観点が抜けていました.

たとえば , 食事をとる際に私たちは人間だけでなく , 動植物 , 静物 の力もいただいています. 生成過程は分かりませんが , 石油 を消費して生きている限り , 動植物 の力をいただいています. ここまで , 範囲を広げると , 理解が難しくなってしまう気がしますが , 一方でこれらを無視するという 人間中心的 な考え方についても 今後 の 検討課題 になりそうです.

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です