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心 を 休める ことだけで 心 の 底から 湧き上がる 満足感 を感じる

心 を 本気 で 落ち着かせる

心 が 平常時 いかに 掻きまわされているか を 認識 しました .

何も 考えず , 何も せず , ただ , 心 を 休める だけで , 満足感 を得ること が できます .

do-nothing

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まずは 禅 の ススメ

座禅 を 開始して 半年 ほどが 経っています .

座禅、立禅、動禅

以前の 投稿 では「 時間 を取れていない」と 記載した のですが , 数回 やってみて , その 効果 を 実感 してからは 優先して 時間 を割り当てています . 2017年11月現在 , 15分~20分程度しかまだ 集中力 が続かず , 修行 が足りていない のですが , 座禅 により 何もない 状態 に 集中 して , 落ち着く ことで , 満足感 を感じることができることが分かり , これを 継続 しています .

満足感 の他に もう一つ 気づき が ありました . 日々 , 情報 の 海 に溺れていることの 実感 です . 座禅 をすることで 落ち着いて初めて , 日々 , 心 が 常に ざわついていることに , 掻きまわされていること に気付きました . そりゃそうですよね . たとえば , 目を開けば 電車 でも 街中 でもプロモーション の 嵐 , ウェブ を 徘徊 すれば全ての ページ で プロモーション の 嵐 , ですし . そりゃ , 頭も 狂い ますわ . 心 を落ち着かせる タイミング がないと , 比較する 対象 がないから , 日々の自分がどのような状態かを認識できない , というわけですね . 心 がざわついている日は特によくわかります . 集中 が全く続かず , 雑念 がポンポン 湧き出てきますから .

座禅 により , 日々 , 情報 の 海 に 溺れて 頭 を 掻きまわされて いることを 認識 したことから , 自分は 何を思っているのか , 何を感じているのか , そこをもっともっと 感じ 取りたい なあ , と思うに至り , つい先日改めて読み直した「七つの習慣」の一部を思い出しました .

心 を 落ち着かせる ための 方法 の一つ

そこでですね , 個人ミッション を創り上げるという文脈において以下の行為が薦められています .

  1. 注意深く耳を傾ける
  2. 記憶をたどる
  3. 自分の動機を確認する
  4. 砂の上に自分の悩み事を書く

 

Itmediaの記事でも取り上げられて , 事例を変えて説明されていました .

http://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/1001/22/news003.html

今般 , これを 実践 しまして , 是非 , お勧め したく , この 記事 を 書く ことと しました .

注意 深く 周囲に 耳 を 傾けて みた

とりあえず 海に 行こう ! ということで , 近くの 海 と言えば 横浜港 なので , 山下公園 で 時間を 過ごすことに . まず , 横浜駅 から 山下公園まで ゆっくり 無心で 歩く , これで 1時間ちょっと . 次に , 山下公園 で 座って 海を 眺める . ベンチ もあるが , 人工 でもいいから 草木 の上の方がいいかと思い , 芝生 の上に座りました . 特に 何も しない . ただ , 前方を , 海を , 眺める . 日曜で , めちゃくちゃ良い 天気 だったので 公園 で 遊ぶ人 は 多かった ように 思います .

 

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2時間ちょっと 何もせず , 何も考えず , ただ 事に 当たりました . 時間は すぐに過ぎ , そして , 何もしていないのに , 想像 以上の満足を , そして 幸せが 湧き上がってくるのを 感じることが できました . この時間に 限って言えば , 何か 成し遂げたわけでは ありません . なので , 何かが 後に残って , それによって 満足 を 感じたわけではありません . ただ , 「 時間 」を「 時間 」として 使ったことに満足 を感じることが 出来たのだ と思います .

ひと昔前の 自分 であれば , 「何もしていない 時間 」があることに 何だかよく分からない 焦り を 感じていました . 何か しなければ , 何もしていない 時間 が「 もったいない 」 . 効率 の 魔法 に , 広井先生 の 表現 を借りれば , 人生 の「〇/ 時間 」をいかに高めるかが 重視 されているという 魔法 にかかっていました . 時間 というのはただ過ぎ去るものであり , 効率 の観点では コスト ないしは パラメーター の 一種 にすぎないものだったのです .

今回の 体験 で分かったことは , その「 時間 」の使い方でこんなにも 幸福 を感じることが出来るということです .

本気 で 心 を 休める だけで , 心 の 底 から 満足 を得ることができます

効率性 が 貴ばれる 現状 において 大きな パラダイム シフト であり , もしかしたら「 本気で 」 心 を 休め させることに 抵抗 を感じるかもしれません . しかし , これは 価値 ある 体験 であると 断言 できます . 半日 で 十分 です . それだけあればその 体験 をすることができるのです . 是非 体験 してほしい . 体験 しないという 判断 はあると思うが , 体験 しないで , この 行為 を 評価 することだけは避けて ほしい . 断言 してもいい , 体験 しない人には分かりえません .

そんな 時間 がない!という人もいるかもしれません . 過去 の 自分 がそうでした . でも , そんな人にこそ 体験 して欲しい . 今の 時間 の 過ごし方 に少しでも 疑問を 感じている のなら .

 

自分 は 何を思っている のか , 何を 感じているのか , そこに より 感度を 持ちたい , ということでこの 実験 をしてみたわけですが , この後に 実施した ②記憶 を 辿る こと で その点 について 発見 がありました . それは 回を 改めて 紹介したい と思います .

 

情報 を 遮断 する 工夫

なお , いくつか情報を遮断する工夫をしているので最後に紹介します .

  1. 私は朝通勤するときに眼鏡をかけないようにしています . 目が悪くて良いことなんてほとんどないのですが , このときだけは役に立っています . なぜなら , 生活に支障が出ない程度に周囲を把握できるのですが , 文字を認識するといったことはほとんどできず , 情報をシャットダウンできるからです .
  2. ほかに実施していることとして , 書籍の置き方にも工夫をしています . 効率で見れば背面を手前側に向けて何の本か分かるようにすべきなのですが , そうすると本棚から多くの情報が入ってくるので , 背面を奥に向けることで , 目に入ってくる情報を削っています .

文章化 しながら, 思考すべし. 黙々と考えていても思考は進まない.

文章化 しないと整理 されない?

文章化 が , パートナー が悩んでいるときにした アドバイス で役に立った. 確か , 子ども との付き合い方について パートナー が考えていた時だったと思う. パートナー は 赤ちゃん や 子ども は好きな方なのだが , まとわりつかれる ことをあまり好まないらしく , 「 子ども の純粋な行動を受け入れられない」自分に対して悩んでいた(それが核心だと私は理解している). つまり , 自分は 子ども のいかなる行動も 受け入れるべき であり , それを受け入れられない自分は 駄目 なのだ! ということである.

文章化して , 考える

 

今ここでは , 文章化 しているが , 私がパートナーから相談を受けたときには , 話を聞いてもらってもいい?という形で , 特に文字 で表現されていたわけではなかった. 勿論 , 当時私は彼女の話を聞いたし , 私なりのコメントはしたが , それでもなかなか腑に落ちない様子. そこで , 一つ提案したのが , とりあえず 文章 にしてみたら? というものだった.

考えているようで考えていない. 文章 を作ることで 思考 が進む

文章化

私もつい先日までそうだったのだが , 文章 にしなくてもなんとな~く考えることはできる. いや , 悩む ことはできる , と言った方がいいのかもしれない. 以前考えたこととの間でグルグル同じことを繰り返している状態である. 確かプレゼンの勉強をしている際に得た情報として「7±2」という話があって , 短期記憶の容量なのだそうだ. その考え方を適用するとすれば , 一つのことを考え , それに基づいて次のことを考えている内にはもう前回のことを忘れている. 論理的にどんどん思考を掘り下げるのであればそれで良いのかもしれないが , 他の要素 , つまり以前に検討した要素との関係性についてはなかなか想起できない. この結果 , 同じところをグルグル回るというのである. 回っていることすら気づかないだろう. そこで , 考えたことを 文章 にし , それを見ながら , ときには修正しながら , 思考 を進めるというものである.

Evernote を使うようになった

単なる 覚書 として使おうとしていた時にはなかなか Evernote の有用性を掴み切れず , 手を出していなかった. しかし , 思考 と 文章 による表現 とが私の中で結びついてからEvernoteが手放せなくなった. つまり , 何かについて考えたら , または思いついたら , Evernote にメモをして , その事項についてさらに深く考えたり , 思いついたり , したときにはその メモ を取り出して , 追記したり , 修正したりという使い方をしている. 特に , 何か別のこととリンクした時には , 以前メモしたデバイスと違うデバイスを使っていることがままあり , そういう時に重宝している.

話を戻して パートナー の件はどうなったのか?

Evernote の使用も進めてみたが , そちらは受け入れられなかった(笑). そこはいいとして , iPhoneのメモ機能を使って , 文章 にしたものを見せてくれた. そもそもの悩みに対して適切な回答(適切な回答が存在するのかどうかすらも不明だが)を得たのかは不明だが , 彼女なりに思考を整理し , その結果に満足しているようだった. モヤモヤして , なかなか辿り着かないとき , 一度試してみては?

(20171017 追加) Evernote でメモした結果をマインドマップで整理する

思考のピースが集まった後は , 今はマインドマップ で整理している. 友人で Freemind を使っている人が多いことから自分も Freemind を使っている. Evernote から直接マインドマップで整理できないのかな. 今度探してみよう.

フィードバック を友人から得て, 自分をオープンにする

フィードバック を友人から得て自分がオープンになった例

友人(彼は25歳かな)が「大谷友和 さんって今の生活にそこそこ満足しているんですね. なので , 大谷友和 さんは絶対に変わらない」という フィードバック をくれた. 衝撃だった. 無意識ではあったけど自分が大切にしていることの一つを的確に表現してくれた. それ以降 , 少なくともそれ以前よりは自分が言いたいことを言えていると思う. なんだろう. 私の無意識にあったかなり奥のところにある感情を表現してくれたからだろうか. それより手前の感情を出すことに抵抗を感じない. あそこまで表現したんだから , それ以下を表現するのに何のためらいがあろうか?みたいな感覚.

この文脈での友人とは?

この経験以降 , 相手にとって少なからず指摘して欲しくないと推測されるようなことでも相手のことを想いながら フィードバック をしあえる関係(=当サイトにおける友人)を大切にしている. 私の アファメーション 用文章においてもこのことを明記し , またそのような関係になり人との関わり方についても記載している. 会社ではまずない(少なくとも現時点では). 悲しいかな , 大学時代から一緒にいる友達でも , 今思い返せばそういった関係にあるとは言えない. 準備ができていない人に対してこのような フィードバック を与えると , まず拒否反応を示す. 私もある程度受容する準備をしているから何とか受け止めることができたものの , 少し前の自分であれば反論していたように思う. 今はたまたまそういった友人がいるが , 一般論としてそういった友人がいるコミュニティをどうやって作るか , というのは考えていく必要があると思う.

フィードバック になっていない フィードバック

もう一点 , ここは自戒も含めて , 改めて記載したい. MBA等でもそうだけど フィードバック って言葉が躍っている気がする. おそらく(今度確認しよう. . . )最初に使われた文脈では相手にとって少なからず指摘して欲しくないと推測されるようなことでも相手のことを想いながらフィードバック することを指しているんだろうが , 実際はそうなっていない. たとえば , 前記の成績に対して会社の代理としてのマネージャーがどう思ったのかをいうことを フィードバック と呼ばれていることがある. それも勿論 フィードバック に含まれるのだろうが , フィードバック する主体が会社なのであれば , 会社として , その人がどのような人になって欲しいのか , その理想に対してどういった点が今欠けているのか , ということを愛をもって指摘することが フィードバック だと思う.

※2017. 10. 17 追記

それはフィードバック ではなくてモニタリング ですね , とメンタリング のセミナーで講師の方が指摘していた. 確かに.

フィードバック の受容方法

先日妻からもらった フィードバック で , 「貴方は仕事 , 子どもとの関係 , 友人との関係 , 独自に築いているコミュニティ内の人との関係では , 素晴らしいと思うけど , 夫としては駄目だよね」というものがあった . グサッ , っときました . 自分の中では時間の役割(後日アップ)に応じて時間の割り当てを考えていたつもりだったけど , 妻から見るとそう見えているということなんだろう . こういったある程度心に来るフィードバック をどのように受容するか.

私のメンター が教えてくれた魔法の言葉がある.

うけたもう

である. 修験道からきているようで , 私はまだそこについては勉強中であるが , 何らかの言葉をいただいた際には心の中でこの言葉を唱えるようにしている. うけたもう. せかせかと時間をスクロールさせる日々の中で立ち止まり , 身体に受けたものを染み渡らせるための手段としては一考の価値があると思う.

自分をオープンにすることに慣れる ①

大学生と話をしているときにはあまり感じないが , 自分と同じくらい , またはそれ以上の世代と話をしているときに感じることがある.

自らの考えをオープンにすることに慣れていない?

友人(40歳くらいかな?)の方がおっしゃっていたのは , 「大ナタを振るうことに恐怖がある」というものだった. 確かに. 自分をオープンすること怖い気持ちは , ある. 私も今だからなんとなく言えるけど , 「自分を評価されることが怖い」「馬鹿にされることが怖い」「”良い人”だと思われていたい」と何らかの意思決定をするときにこれらの気持ちがもたげてくる. 現職においても , そういった言動が落ち着いていると評価される傾向は正直言って強い. それに従って , 昨今 , 余計にオープンにしない傾向は強くなっていた.

でも , 今は違う認知をしている. 例えば , 評価なんて気にしていられない , 馬鹿にされない方が良いとは思うが馬鹿にされてもいい , 良い人だと思われるに越したことはないがそうでなくてもいい. 極論すれば , 数人でいい , 本当に本音で話せる友人が10人中1人 , 2人と増えれば , 他の8人とは無関係に終わってもいい , と思うようになってきた. そう思えるようになると肩の力がすっと抜けた感じがして , 以前よりかなり自分をオープンに出来るようになってきた.

自分をオープンにすると何がいいか?(相手にも同じ認知があることは前提にはなるけど)相手もオープンになり , 共有してきた時間はそれほど長くはないものの表面的な話ではなく身の上話をできるようになる. その結果 , 相手のことが良くわかるようになる. それよりも , このブログの目的の観点からも重要だと思うが , 自分の感情も良く分かるようになる. まず , 表現するというプロセスを経るし , さらにその表現したものに対して相手が応じてくれることで再度自分に言い聞かせるというプロセスも経る. そのときに自分がどう感じるか. ここを内省することが自分をより理解することに繋がる.

 

とはいうものの , 私もそうだったから言えるのであるが , 自分をオープンにしたことのない人がこの感覚を得るのは容易ではない. 自分をオープンにしましょー!なんて言ってできるのであれば苦労はしない. 意識的にしろ , 無意識的にしろ , それが良いとみんな思っている. 言いたいことを言いたい!そこをどうやって突破するか?

私の例ではあるが , 圧のかかるフィードバックが一つの解だと思う.

次のポストでは , 私の例を紹介したい.

 

 

ざわつく言葉集1 起業

心が動く , なんだか苦しい , モヤモヤする

これに気づくための手法の一つが禅だと思っているけど , 気づいたときになぜそのような状況に自分がなったのか(内省の一つ)を考えるのが大切だと思う.

「起業」という言葉には , 私はざわつきを覚えるので , 少なくとも先ほどあったシチュエーションおいてなぜざわついたのかを記録する.

 

事実は , まず連絡から始まる. ある企業の社長が , 私が参加している塾にやってくる. 今朝決まり , 午前に来る. 会いたい人は塾の現場にどうぞ!というものだった. 連絡を受け取った際 , 格別その企業か , どんな社長か , 知らなかったので , そこで心境変化は特になし. そこで , どんな企業だろう?どんな社長だろう?ということで調べてみたところ. 起業から約15年ほどたったベンチャーであることが分かる. なるほど. 企業概要を見たところ , 沿革ということで , 各フェーズでの写真(作業場 , 職場)が載っていた.

 

そこで , 少しぐっときた.

 

なぜか?

 

その写真を見て , 私はこう認知したのだと思う.

 

ああ , 「解放」されている. その作業場は , 職場とは程遠い , コンクリが見える8畳程度の部屋に椅子とネット回線とがあるだけなのだが , 私はそこに「束縛されていない状態」を認知したのだと思う.

 

勿論 , その写真を見て , 「何もない」とか , 「まさしく起業したてですね」とか , 「資金繰り大丈夫か?」とか , 色々な認知の仕方があるのだろうが , 私がなした認知はそれだった.

そして , 事実ではなく , その認知した結果に基づいて心のざわつきを覚えたのである. これは別にコメントしようとは思うが , 人は事実に対して感情を覚えたり , 行動を起こすのではなく , 事実に対する自分の認知に対して感情を覚えたり , 行動を起こすらしい(ABC理論). あの写真からでは , 例えば , 金銭的に余裕があるとはとても認知できないし , 一方 , どの程度の労働時間を費やしているのかも分からない. 損益計算書も見ていないし , 社会に対してどのように貢献しているのかも薄っすらとしか知らなかった. 私は , 起業という言葉にざわつきを覚えたのではなく , あの部屋を見て , 解放感 , 自由感を感じ取り , それに対してざわつきを覚えたようである.

 

私のキャリア・アンカー(これもまた別途コメントする)をチェックした時には , 「自律・独立」「生活様式」がツートップで , どちらだ!?と言われたら「生活様式」だと思っている.

そういう意味では , 「自律・独立」というキャリア・アンカーはそれほど間違っていないように思える.

少なくとも , 「保障・安定」は相対的には強くはなさそう.