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思い込み, 信条, イデオロギー, などによって迷い、不安を感じ、苦しめられる. それを緩和するには?

全ては 心 が決めている

自分の外部からの刺激に対する反応は , 生物学的なものを除いて , 受け手の 思い込み , 信条, 脳回路, 宗教, イデオロギー(以下 , 思い込み等. )に依存します. 思い込み等はその名の通り虚構であるから , 何とでも変えることができます. しかし , 自身が持つ虚構を虚構と気づくのは容易ではありません. 一つの方法として , その虚構を全く同じに捉えない人やその虚構を信じない人々の考え方をいくつか受け入れるというものがあります. それを紹介します.

belief

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思い込み , 信条, 脳回路, 宗教, イデオロギー・・・には正しいも , 間違いもない

去年の秋ごろだったでしょうか.

パートナーと話をしていて , パートナーが ,
夫婦とは友人関係とは違い極めて格別なものでなければいけない ,
という考え方を持っていることが分かり , 議論になったことがあります.

確かに , 私としても , 夫婦関係というものは友人関係とは
なんらか違いはあるべきだ(この違いについては現在検討中) ,
と理由なく思うものの , そこまで違うべきかと言われると , そうでもありません.

同じような経験は他にもあります.

友人の夫婦関係の話で , 男性側は ,
比較的 , 家父長制の強い家庭で育ったためか ,
妻業というものがある , という考え方をもっていました.

一方 , 女性側は , 妻業といった表現は受け入れられず ,
対等であると考えているようでした.

自分の話で言えば , 私の思い込み等にも歪みがあります.
例えば , 金銭に対して歪んだ信条を持っていました.

より多く金銭を保有している方がいいと思っていたため ,
持っている人を羨んだり,
そうなっていない現状を悔しんだり

といったものです.

また , 他者から自分が認められなければ , 自分に価値がない
といったものもありました.

今だから言えることとして , みんなそれぞれが思い込み等をもっていて ,
それに従って自身が認知した結果を認識しており ,
その思い込み等は絶対的に正しくもいないし ,
絶対的に間違っているわけでもありません.

たとえば , 2017年のビジネス書大賞に選ばれた「ホモサピエンス全史」の上巻において ,
ハンムラビ法典における王権神授的な考え方 , や
アメリカ独立宣言におけるあらゆる人間が平等であるという考え方 , には
何ら客観的な正当性はない , と示されています.

この抽象的な水準で正当性がないのであれば ,
いわんや人が個別に持つ思い込み等に正当性があるわけがありません.

正しくも , 間違ってもいないものに苦しめられる必要はない

ここで , 私が問題にしたいのは何か?

それは , 絶対的に間違っていないし ,
絶対的に正しくもない自身の思い込み等で
自分が認知した結果を認識すること自体は良いと思います.
個性とも言えるのかもしれません.

ただ , その認識を悩んだり , それによって苦しみを感じたり ,
不安を感じるのであれば , それは勿体ないと思います.

なぜなら , 少なくとも絶対的に正しいわけではない
思い込み等に苦しめられていることになるのですから.

悩みや苦しみの原因となっている思い込み等を矯正するには?

では , どうすれば , 悩みや苦しみの原因となっている思い込み等を矯正できるのか?

矯正する方法の一つを以前紹介しており , それは自己暗示です.

しかし , 自己暗示は矯正の方法としては優れているのですが ,
上述した3人の経験を踏まえて一つ問題があります.

それは , 悩みや苦しみの原因となっている
自身の思い込み等に気付くことができない , というものです.

もう絶対的かつある種盲目的に自身の思い込み等を信じていますし ,
そもそも自身の思い込み等に気づきません.

仮に思い込み等に気づいたとしても ,
ある刺激に対して自身がする反応が ,
あまりに自然且つ高速に発生するため ,
その思い込み等をあたかも真理であるかのように認知しています.

実体験

気づく方法の一つは , 同一の事実に対して自分とは異なる認識をする ,
自分とは違う思い込み等を持つ人が認識した結果を受け入れることです.

私の経験上 , 沢山の意見を受け入れた方がいいです.

性格に依存しますが , 一人か二人程度の意見だと ,
自分の思い込み等に疑問を抱くには至らない可能性があります.

その一人か二人に対して“この人 , 変な人!”と思い ,
そこで受け入れをシャットダウンします.

しかし , それが5人なりになってくると ,
“あれ?自分がおかしいのか?”と感じ始めます.

例えば , 私の友人の例では , 友人(女性側)は
夫婦においての男性と女性の役割は対等であると信じており ,
一方男性側が家父長制を信じていることから ,
夫婦の在り方について意見の食い違いが発生していました.

男女平等主義も家父長制も , 現代や特定の時代で流行した思い込み等に過ぎないので ,
それらに正誤はありません. 選択にすぎないのです.

しかし , 友人(女性側)は , 夫の考え方がもしかしたら正しく ,
自身の考え方が誤っているのではないか?と思い始めていたようでした.

そこで私や他の友人が , それぞれの思い込み等に照らして ,
それぞれの意見を言ったところ ,
友人(女性側)は , 自身が間違っているわけでもなく ,
正しいわけでもなく , 夫側についても然りかと考えるようになり ,
悩みが少し緩和したようです.

私のパートナーのケースでは , 出産・育児という時期的な問題から ,
多くの人と直接会うことができず ,
多くの意見をインプットすることができませんでした.

そこで , 本によるインプットを試みました.

ここは彼女の凄いところだと思うのですが ,
10冊以上(つまり , 10人以上)は関連する本を読んだようです.

そうすることで , 夫婦とは友人関係とは違い格別なものである ,
と自分は信じているが , そうでないと信じている人もいて ,
いずれも正しかったり間違ったりしているわけではない ,
と思うようになるに至りました.

悩み , 苦しみ , 不安の対象がある方は ,
まずその原因である自身の思い込み等に気付くべく ,
是非試してみてください.

歪んだ思い込み…緩和するためにはどうすればいいのか?

さて , このようにして悩みや苦しみの原因となっている
自身の思い込み等に気付くことができれば , 残りは対処の問題です.

そのまま置いておくのも良いでしょう.
ただし , 自身の思い込み等を絶対だと考えず ,
数多ある思い込み等のうち一つを選び取っているのだと知っておく必要があります.
そうすれば , その思い込み等に従って認識したものを省みる余裕が産まれます.

もう一つは矯正するというものです.

そのためには , 以前紹介した運動自己暗示が使えます.
おそらく , 食事の影響も大きいと推測するのですが ,
こちらは今後研究し , ここで報告します.

もし , 気兼ねなく自分を開示することは容易でないことは確かにあります.

心を開く ことで, 自分の心 に 耳 を 傾ける ことができる

自分を開示できる相手であって , 自分に意見を言ってくれる相手が相当数いない場合には ,
それを実現するためのグループワークも開催していますので , 是非お声掛けいただければと思います.

木曜会 http://recreate.jpn.org/home/

あと , そのような場を提供している団体を紹介します.
もし , 他にも知っておられれば , 是非ご教示ください!
 
社会起業大学 https://socialvalue.jp/

貢献感、すなわち自分が「ある」ことで誰かの役に立っているということに気づく

生かされている

実際に言葉を交わした人だけでも膨大な人がいて, よくよく考えてみると , 言葉を交わしたことのない人や 動植物 に至るまで多くのものに 生かされている ことに気づいた. これを他者から見ると , 自分 の 存在 も誰かを 助けている (= 貢献感 )ということになる.

contribution for anyone

contribution for anyone

幸福 を感じるための方法の一つとして

書籍「 嫌われる勇気 」において , 共同体感覚 があると 他者 からの 承認 がなくてもよい. 他者 に対する 貢献感 を感得し , それより 幸福 を得ることができる , と記載されている. そしてその手段として , 他者が自分の行為に対して 感謝 するかどうかは他者の 問題 であり , したがい他者からの感謝を期待するのは妥当ではない.  自分が 貢献 したと信じることが大切 , とのことである.

私のテーマは , 「個人が自分の生を精一杯生きている社会」を創造すること , 言い換えると , 「個人が幸せを感じている状態を作ること」である. よって , この考え方には非常に興味があり , このように書籍で読むと , 「なるほど!」と思うのだけれども , その実現は極めて難しい.

たとえば , 妻の以前のコメントにおいて , 「私の 自己暗示 の中に パートナー (= 妻 )との 相互依存 があったけど , 私は貴方に 貢献 できる気がしない. 貴方の何を埋められるか分からない」というのがあった. 自分のことではなく , 妻のことを例に出して恐縮だが , 妻としては , 「 明確に 」 貢献 していることを自覚できないと , 私に 貢献 していることを妻は感得できない , というのである.

自分も 自己暗示 において 自身 と 他者 とを 分離 することを謳ってはいるが , なかなか実現できていない. 誰かに御礼なり , 感謝 の言葉をかけていただいて , やっと落ち着く自分がいることをまだ認識している. もちろん , 自覚 したあとで , まだまだ 意識変容 の途中であることに気付くわけだが.

どのようにして 貢献感 を感得できるようになるのか?

以前の私が , 「何かしないと!社会 に対して何か 行為 を行わないと!」と 焦っていた 気持ちの理由の一つに , この「 貢献感 」を感得することができない , というものがある.

つまり , 「 嫌われる勇気 」を理解した上で , 他者 と 自分 とを 分離 することはある程度できた. しかし, 貢献感 を自ら感得する パラダイム をもっていなかったので , 他者の力を借りて 貢献感 を感得しようとしていたのである. 今回ある経験をして , 感謝 , 賞賛 , 御礼 といった他者の力を借りなくとも , 貢献感 を感得する パラダイム を得たので共有したいと思う.

私の提案は , 日々の生活を 振り返る ということをしてみるのはどうか?というものである. そして , 自分が「 何をしたか 」だけを 振り返り がちであるが , それだけではなく , 「その行為に関わった人は誰か , どれ程いるか」を 振り返る , というものである. そうすると , たとえば , 一日 生きる だけでも , 一食 食べる だけでも , 相当な数の人によって自分が 生かされている ことがわかる.

 

実体験

前の記事

ここで海を眺めたあと , 自分の 歴史 を振り返ってみた. 具体的 には , 中学1年生 から今日まで年ごと 時系列 に沿って何をしたかを箇条書きで記載してみた. まず , 最初は徒手空拳で思い出しにかかったところ , 学生時代については比較的思い出せた.

しかし, 卒業して 社会人 になってからは学生時代に比べて記録が薄くなった. ただ , 幸いにも社会人になってから使い始めたgmailの送受信記録が残っていたので , それを頼りに思い出してみると学生時代と同程度まで社会人時代の記録が増加した. 次に , 「した」ことそれぞれに関連する「人」を付記していった. 結果として , A4にして10ページほどの記録になった.

これを実践して一つ目の印象は , 思っていたよりも色々と経験してきたなぁ , という感覚であった. 社会人になった後の記憶を書いているとどうしても記憶が仕事中心になりがちであり , 数が増えない. それをgmailによる記録の助けを借りて仕事以外の家庭等での経験を加えると , 学生時代と同程度の経験をしていた. 振り返り をしていなかったことから, これに気づくことができず, 必要以上に焦ってしてしまっていた.

二つ目の印象が , 非常に多くの人と 関わってきた んだなぁ , というものであった. 勿論 , 親しい 友達 もいれば , 大学の実験で一緒だっただけ , ただ話を交わしただけ , クラスが一緒だっただけという人もいる.

この 振り返り では自分が認識した人だけを書いていたのだが , 考え出すと 関わってきた人 の数が膨大になる. たとえば , 中学校 や 高校 で 同学年 だけでも千人くらいおり , その友達たちがその場にいるためには , 彼らの 親 や 祖父母 等の 先祖 がいるのである.

大学で何気に学食を食べていたが , その学食一食を食べるのに , 最後 作ってくれる 人 もいれば , 材料 を 運ぶ人 もいて , その 材料 を 育てている 人がいるわけである.

現在 , 社会人 として 一企業 で働いているが , その 労働 によって自分が 所得 を得られるまでにまず 会社 としての売上が必要なわけで , その 売上 を上げるために , 社内 の 人間 だけでなく , 消費者 や BtoB の 会社 とその 会社 の 従業員 , それぞれの 会社 の 株主 が関係している.

「 生かされている 」感覚から「 誰かを貢献している 」 , つまり貢献感

我々は「 生かされている 」のである. 私は今 電気 と PC を使いながらこのブログを作成しているのだが , この行為だけでも , 誰かに 助けてもらっている のである.

そして , 次が大切であり , 私が最も申し上げたかったことである.

つまり , このように自分に多かれ少なかれ 関わり を 持ってくれた人 が沢山おり , 彼らによって 自分 が 生かされている 事実 があるのである.

このため, 他者から見たら , 「 自分 」も その 他者 を 助けている 一部と 認識 できるはずである. 勿論 , 上述の例のように , その 関係 は 極めて 希薄 で , 実体験 は伴わない.

でも , 確実に , 私たち一人一人の 存在 が , 「 ある 」ということが , 他者に 貢献 できている. すなわち , 観念的 と言われるかもしれないが , ありとあらゆる人間同士 の関係において 相互依存関係 が全く無いなんてことはない.

自分 が多くの 他者 に 生かされている ことを 認識して , そこから逆算的に , いついかなるときでも 自分 の 存在 が 他者 に 貢献している, ということを 認識する , という手法を採った.

振り返り を行い , 自分 を 生かしてくれている 沢山の 他者 の 存在 を 認識 したとき , なんだか 敬謙 な気持ちになり , 感謝 があふれてきました. 是非お勧めです.

反省

一つ反省です. 動植物 , 静物 についての観点が抜けていました.

たとえば , 食事をとる際に私たちは人間だけでなく , 動植物 , 静物 の力もいただいています. 生成過程は分かりませんが , 石油 を消費して生きている限り , 動植物 の力をいただいています. ここまで , 範囲を広げると , 理解が難しくなってしまう気がしますが , 一方でこれらを無視するという 人間中心的 な考え方についても 今後 の 検討課題 になりそうです.

自己暗示 -affirmation- のススメ

自己暗示 で自分の 価値観 を変えることができる

自己暗示 を毎朝することで自分が 認識 する 世界 が大きく変わります.

self-suggestion

自己暗示

私は 金銭 に対して歪んだ考え方を持っていました. まだ , 継続しているもしれません. より多く金銭を保有している人を羨んだり , そうなっていない現状を悔しんだり. ところが一方で , 金銭を必要以上に持っていてどうするんだ?何の意味があるんだ?と考える自分がいました. 金銭 に限っていえば , 例えば『 七つの習慣 』によれば , 目標を達成するための手段 に過ぎないと記載があります. 自分も次のように考えています.

お金とは?

  • 物々交換 がそもそもの始まり
    • 自分の成果を(物によっては)保存できない
    • 自分の成果を欲しがっていて , 且つ自分が欲しいものを持っている相手を探せるとはかぎらない
  • →交換手段 としてのお金 が発生
  • 「お金を使う」ということは , 自分ではない誰かの付加価値 を自分の目標のために獲得するということ.
  • 「お金を獲得 する」ということは , 自分の目標のために獲得する誰かの付加価値 を市場価値 に直した結果であるところのお金 につき使用する権利を得るということ. そもそも世界は物々交換 だった. その不便を解決するために , 金銭 を発明したに過ぎない.
  • 「お金を貯める」とは , 自分の目標を達成するために必要な自分の付加価値がワンショットでは足りないため , そのワンショットを複数回蓄積するということ
  • したがって , お金を貯めた先に , その貯めた全部の使い道があれば , お金を貯めるという行為は自分の目標達成の手段となる.
  • お金を貯めるためにお金を貯めても意味はない. その意味が「なぜか」出てきたのは利息の考え方が出現し , 資本家なる仕事(?)が出現したから.
  • 生活を維持するために , その生活を維持するのに必要十分なお金を獲得することは , 生活を維持するために必要.
  • 生活を維持すること以上のお金を獲得した際には , その分のお金を使うための目標がある方が好ましい.

なるほど , 確かに , お金 は , 生活 の維持 であれ , それ以外であれ , 目標 を達成するための手段 に過ぎない. 目標がなく , 利息 なる制度が無いと仮定すれば , 貯蓄 する行為は , せいぜい万が一のセーフティネット の意味しかない. もしかしたら , 必要以上にため込むことは他者の利用を妨げているだけなのかもしれない.

話しを戻します. 確かに『 七つの習慣 』に記載されている金銭の捉え方は妥当であるように思われ , それを実践することが世の中を正確に把握することにりそうである. しかし , それは難しい.

価値観 変えることは容易ではない

例えば , 私の金銭に対する価値観形成の理由の一つは , 両親の口癖にあった. 何かを希望したときに , 合理的な理由ではなく , 「お金が無い」 , とか , 「家庭収入が○○だったら ,…」とかである. それを常々聞いて育ったため , 金銭に対して正しくない価値観を備えていたようである.

書籍や人の話を聞いて , 正しそうな価値観を見つけることはできるが , じゃあ明日から , その価値観を採用する!なんてことは通常難しい.

時間はかかるが確実な方法 , 自己暗示である

そこで自己暗示 です. 自分の在りたい姿 , 考え方を文章にして , そちらを毎日(できれば朝起きてすぐが良いようですが)音読し , その姿 , 考え方を自分の脳に染み込ませます. 私もこの話を聞いたときは半信半疑だったのですが , 脳科学等を色々探って納得がいきました. つまり , 結局我々の価値観 なんていうのは , シナプスの結合で決まっているのだから , それを無理やり変えるように暗示をかけ続けて , 今あるシナプスの結合を書き換えてしまえば , 結果価値観と呼ばれるもの , 言い換えれば思考パターンが変わる , ということです. 別途お伝えしようと思いますが , シナプスの結合を変わりやすくするための日々の運動も含めて , 私は3箇月くらいでその違いがでてきました. なんでしょう. 自分に刺激が入った時に , パッと出てくる反応が変わります. 是非 , 騙されたと思って , 実行してみてください.

ご参考までに 私の自己暗示 を掲載しておきました. 常に見直し , 修正しています.

 

心を開く ことで, 自分の心 に 耳 を 傾ける ことができる

自分の 心を開く ことで,  相互理解 と 内省 とを促進する

心を開く ことで 相手 も 心を開く ことができるようになり, 相互理解 が 驚異的 に 促進する. さらに, 開いた自分の 心 に 耳 を 傾ける ことで 内省 をすることができる.

self disclosure

self disclosure

友人 が言っていたことに, 「大ナタを振るうことに恐怖がある」というものがあった. 確かに. 自分を オープン することについて 怖い 気持ち は , ある.

私も今だからなんとなく言えるけど , 「本当の自分を 評価される ことが 怖い 」「 馬鹿にされる ことが 怖い 」「 恥 をかくことが 怖い 」「“みんなに 良い人 ”だと思われていたい」と, 何らかの 意思決定 をするときにこれらの 気持ち がもたげてくる.

職場においても , そういった言動が落ち着いていると評価される傾向は正直言って, 強い. ある程度グループをまとめる立場, また部門長ないしは役員クラスと話す機会が出てくる立場になってきて, 言いたいことが なかなか 言えない (と勝手に思い込んでいた. 本当はそうではない, 自分が言いたいことを言えばいいし, 自分を感じたことをぶつければいいのである. )機会が増えていた.

その機会に どっぷりつかり, それが“ 普通 ”になると, 自分の 言いたいこと か何か分からなくなる. その症状がさらに進行すると, 自分が「 本当に 」 何を 感じているのか 分からなくなる.

認知 を変える

しかし, 今は違う 認知 をしている.

例えば , 評価なんて気にしていられない , 馬鹿にされない方が良いとは思うが馬鹿にされてもいい , 良い人だと思われるに越したことはないがそうでなくてもいい. 極論すれば , 数人でいい , 本当に 本音 で話せる 友人 が10人中1人 , 2人と増えれば , 他の8人とは無関係に終わってもいい , と思うようになってきた.

そう思えるようになると肩の力がすっと抜けた感じがして , 以前よりかなり自分をオープンに出来るようになってきた.

自分をオープンにするための手法の一つとしては, ある種「筋トレ」をすることである. つまり, 「本当の自分を評価されることが怖い」といった恐怖を受け入れながら, 自分をオープンにすることを継続するのである.

実体験:心の筋トレ

やはり, 「自分をオープンにする」ということを実践させてくれた場が良かったのだと思う. 参加するメンバーの間に利害がなく, 互いにサポートしあおうという暗黙の了解があり, 何をオープンにしても受け止めてくれる. 勿論, 厳しい指摘もときにはあるかもしれないが, 何より相手を思って, または自分を思ってくれての指摘だと思えば受け止めることができる.

実体験:もう一つの実践としての, 運動

相互に理解のある友だちの間であれば良いが, そこ以外で自分をオープンにすると, 勿論, 良いレスポンスもあるのだが, 受け入れがたいレスポンスもないわけではない. そこで, 運動し, 運動することで受け入れた自分に自信をつけ, 相手に多少何を言われても動じなくするのである.

 

自分 の 心を開く ことの 効果

自分をオープンにすると何がいいか?相手にも同じ認知があることは前提にはなるが, 相手もオープンになり , 共有している時間はそれほど長くはないものの表面的な話ではなく身の上話をできるようになる.
本当は何をしたいのか, 何をしたくないのか, 何に苦しんでいるのか, 通常では表現できないことを共有できるようになる. その結果 , 相手のことが良くわかるようになる.
さらに, 自分の感情も良く分かるようになる.
まず , 自分を表現するというプロセスを経るし , さらにその表現したものに対して相手が応じてくれることで再度自分に言い聞かせるというプロセスも経る. そのときに自分がどう感じるか. ここを内省することが自分をより理解することに繋がる.
自分の心を開くということに動機を感じている人は恐らく少ないだろう. ただ, 自分の心を開くことが出来ていないという認知はできるのではないだろうか. そうであれば, 試してみる価値はあると思う.

 

心の筋トレを実践するにあたって壁を感じることもあると思う. これを表現していいのだろうか?どんな反応が返ってくるのだろうか?
私の例ではあるが , その壁を超えるための方法の一つが「 圧のかかるフィードバック」であった.
次のポストでは , 「圧のかかるフィードバック」の例を紹介したい.

フィードバック を友人から得て, 自分をオープンにする

「参画する一人一人が創造したい自分になっていること」をビジョンとして活動しています.
心の筋トレをする場としての目的もあります. 興味がある方は是非!
木曜会:http://recreate.jpn.org/home/
http://recreate.jpn.org/home/

ざわつく言葉集1 起業

心が動く , なんだか苦しい , モヤモヤする

これに気づくための手法の一つが禅だと思っているけど , 気づいたときになぜそのような状況に自分がなったのか(内省の一つ)を考えるのが大切だと思う.

「起業」という言葉には , 私はざわつきを覚えるので , 少なくとも先ほどあったシチュエーションおいてなぜざわついたのかを記録する.

 

事実は , まず連絡から始まる. ある企業の社長が , 私が参加している塾にやってくる. 今朝決まり , 午前に来る. 会いたい人は塾の現場にどうぞ!というものだった. 連絡を受け取った際 , 格別その企業か , どんな社長か , 知らなかったので , そこで心境変化は特になし. そこで , どんな企業だろう?どんな社長だろう?ということで調べてみたところ. 起業から約15年ほどたったベンチャーであることが分かる. なるほど. 企業概要を見たところ , 沿革ということで , 各フェーズでの写真(作業場 , 職場)が載っていた.

 

そこで , 少しぐっときた.

 

なぜか?

 

その写真を見て , 私はこう認知したのだと思う.

 

ああ , 「解放」されている. その作業場は , 職場とは程遠い , コンクリが見える8畳程度の部屋に椅子とネット回線とがあるだけなのだが , 私はそこに「束縛されていない状態」を認知したのだと思う.

 

勿論 , その写真を見て , 「何もない」とか , 「まさしく起業したてですね」とか , 「資金繰り大丈夫か?」とか , 色々な認知の仕方があるのだろうが , 私がなした認知はそれだった.

そして , 事実ではなく , その認知した結果に基づいて心のざわつきを覚えたのである. これは別にコメントしようとは思うが , 人は事実に対して感情を覚えたり , 行動を起こすのではなく , 事実に対する自分の認知に対して感情を覚えたり , 行動を起こすらしい(ABC理論). あの写真からでは , 例えば , 金銭的に余裕があるとはとても認知できないし , 一方 , どの程度の労働時間を費やしているのかも分からない. 損益計算書も見ていないし , 社会に対してどのように貢献しているのかも薄っすらとしか知らなかった. 私は , 起業という言葉にざわつきを覚えたのではなく , あの部屋を見て , 解放感 , 自由感を感じ取り , それに対してざわつきを覚えたようである.

 

私のキャリア・アンカー(これもまた別途コメントする)をチェックした時には , 「自律・独立」「生活様式」がツートップで , どちらだ!?と言われたら「生活様式」だと思っている.

そういう意味では , 「自律・独立」というキャリア・アンカーはそれほど間違っていないように思える.

少なくとも , 「保障・安定」は相対的には強くはなさそう.

リンク

なぜ , 座禅をする必要があるのか?なるほど , 確かにイマイチ腑に落ちていなかった. 世間で座禅だ , 内省だ , セルフアウェアネスだ , ともてはやされているが , なぜ?今回理由の一つが私なりに出たので記録しておきたいと思う. 1週間後には違うことを言っているかもしれないが.

 

心や体の僅かな変化を捉えるためではないだろうか.

 

「禅」とは何か?

あえて一言で申せば , 「なりきり」ということです.
「なりきり」とは無我無心の境地であり , これこそ悟りの世界に最も合理的に通じる手段なのです.

引用元:http://www.saikoji.net/ques/ques12.html

 

この「無我無心の境地」というのがポイントだと思う. 例えば座禅をしていると分かる. 自分の呼吸や鼓動 , 周囲の音 , 風が吹いていればその風による肌の感覚.

日々仕事に追われているとこういった感覚をつい忘れてしまいがちである. 歩いている時 , お風呂に入っている時 , あまつさえご飯を食べている時でさえ何かを考えている. 歩いているとき , 足の裏から伝わってくる大地(ほとんどコンクリートだけど!!)の感覚. お風呂に入っている時 , 肌で感じる水の感覚 , 手で感じる洗う際の体や髪の毛の感覚. ご飯を食べている時 , 舌で感じる味 , 匂い.

私たちには五感(もしかしたら第六感も?)があり , 自分の周囲から様々なメッセージをいただいているのにそれを無視している. そして , 無視し続けた結果 , 無感になっているような気がする.

自分の周囲だけではない. 内省という文脈では , 自分の内側についても無感になっている. 感情の僅かな変化 , 喜び , 怒り , 愛おしい , 楽しい , もっともっと豊かに感じることができるはずなのに , 無感になっている現実がある. この結果 , たとえば , 「○○さんは何が好きなんですか?」とか「どういったことをしているときに喜びを感じるんですか?」と言ったことを聞かれたときに , とっさに答えられない. 勿論 , 喜び , 嬉しい , といった感情はある. ただ感情の変動度合いとしてみたとき極めて小さく , 微細になっていて , これといって拾い上げることができない.

こんな状態で , 無我無心の禅とは逆の状態である思考する , すなわち , 内省ができるはずがない. なぜなら , 省みる対象を捉えることができないのだから.

禅は座っている状態が基本のようだが , 立っている時 , ご飯を食べている時 , 歩いている時 , いかなる時も可能とのこと. 今のところ座禅をする時間が十分に取れるわけではないので , その他の行動をしている時から禅を開始したいと思う.