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自己暗示 -affirmation- のススメ

自己暗示 で自分の 価値観 を変えることができる

自己暗示 を毎朝することで自分が 認識 する 世界 が大きく変わります.

self-suggestion

自己暗示

私は 金銭 に対して歪んだ考え方を持っていました. まだ , 継続しているもしれません. より多く金銭を保有している人を羨んだり , そうなっていない現状を悔しんだり. ところが一方で , 金銭を必要以上に持っていてどうするんだ?何の意味があるんだ?と考える自分がいました. 金銭 に限っていえば , 例えば『 七つの習慣 』によれば , 目標を達成するための手段 に過ぎないと記載があります. 自分も次のように考えています.

お金とは?

  • 物々交換 がそもそもの始まり
    • 自分の成果を(物によっては)保存できない
    • 自分の成果を欲しがっていて , 且つ自分が欲しいものを持っている相手を探せるとはかぎらない
  • →交換手段 としてのお金 が発生
  • 「お金を使う」ということは , 自分ではない誰かの付加価値 を自分の目標のために獲得するということ.
  • 「お金を獲得 する」ということは , 自分の目標のために獲得する誰かの付加価値 を市場価値 に直した結果であるところのお金 につき使用する権利を得るということ. そもそも世界は物々交換 だった. その不便を解決するために , 金銭 を発明したに過ぎない.
  • 「お金を貯める」とは , 自分の目標を達成するために必要な自分の付加価値がワンショットでは足りないため , そのワンショットを複数回蓄積するということ
  • したがって , お金を貯めた先に , その貯めた全部の使い道があれば , お金を貯めるという行為は自分の目標達成の手段となる.
  • お金を貯めるためにお金を貯めても意味はない. その意味が「なぜか」出てきたのは利息の考え方が出現し , 資本家なる仕事(?)が出現したから.
  • 生活を維持するために , その生活を維持するのに必要十分なお金を獲得することは , 生活を維持するために必要.
  • 生活を維持すること以上のお金を獲得した際には , その分のお金を使うための目標がある方が好ましい.

なるほど , 確かに , お金 は , 生活 の維持 であれ , それ以外であれ , 目標 を達成するための手段 に過ぎない. 目標がなく , 利息 なる制度が無いと仮定すれば , 貯蓄 する行為は , せいぜい万が一のセーフティネット の意味しかない. もしかしたら , 必要以上にため込むことは他者の利用を妨げているだけなのかもしれない.

話しを戻します. 確かに『 七つの習慣 』に記載されている金銭の捉え方は妥当であるように思われ , それを実践することが世の中を正確に把握することにりそうである. しかし , それは難しい.

価値観 変えることは容易ではない

例えば , 私の金銭に対する価値観形成の理由の一つは , 両親の口癖にあった. 何かを希望したときに , 合理的な理由ではなく , 「お金が無い」 , とか , 「家庭収入が○○だったら ,…」とかである. それを常々聞いて育ったため , 金銭に対して正しくない価値観を備えていたようである.

書籍や人の話を聞いて , 正しそうな価値観を見つけることはできるが , じゃあ明日から , その価値観を採用する!なんてことは通常難しい.

時間はかかるが確実な方法 , 自己暗示である

そこで自己暗示 です. 自分の在りたい姿 , 考え方を文章にして , そちらを毎日(できれば朝起きてすぐが良いようですが)音読し , その姿 , 考え方を自分の脳に染み込ませます. 私もこの話を聞いたときは半信半疑だったのですが , 脳科学等を色々探って納得がいきました. つまり , 結局我々の価値観 なんていうのは , シナプスの結合で決まっているのだから , それを無理やり変えるように暗示をかけ続けて , 今あるシナプスの結合を書き換えてしまえば , 結果価値観と呼ばれるもの , 言い換えれば思考パターンが変わる , ということです. 別途お伝えしようと思いますが , シナプスの結合を変わりやすくするための日々の運動も含めて , 私は3箇月くらいでその違いがでてきました. なんでしょう. 自分に刺激が入った時に , パッと出てくる反応が変わります. 是非 , 騙されたと思って , 実行してみてください.

ご参考までに 私の自己暗示 を掲載しておきました. 常に見直し , 修正しています.

 

自分をオープンにすることに慣れる ①

大学生と話をしているときにはあまり感じないが , 自分と同じくらい , またはそれ以上の世代と話をしているときに感じることがある.

自らの考えをオープンにすることに慣れていない?

友人(40歳くらいかな?)の方がおっしゃっていたのは , 「大ナタを振るうことに恐怖がある」というものだった. 確かに. 自分をオープンすること怖い気持ちは , ある. 私も今だからなんとなく言えるけど , 「自分を評価されることが怖い」「馬鹿にされることが怖い」「”良い人”だと思われていたい」と何らかの意思決定をするときにこれらの気持ちがもたげてくる. 現職においても , そういった言動が落ち着いていると評価される傾向は正直言って強い. それに従って , 昨今 , 余計にオープンにしない傾向は強くなっていた.

でも , 今は違う認知をしている. 例えば , 評価なんて気にしていられない , 馬鹿にされない方が良いとは思うが馬鹿にされてもいい , 良い人だと思われるに越したことはないがそうでなくてもいい. 極論すれば , 数人でいい , 本当に本音で話せる友人が10人中1人 , 2人と増えれば , 他の8人とは無関係に終わってもいい , と思うようになってきた. そう思えるようになると肩の力がすっと抜けた感じがして , 以前よりかなり自分をオープンに出来るようになってきた.

自分をオープンにすると何がいいか?(相手にも同じ認知があることは前提にはなるけど)相手もオープンになり , 共有してきた時間はそれほど長くはないものの表面的な話ではなく身の上話をできるようになる. その結果 , 相手のことが良くわかるようになる. それよりも , このブログの目的の観点からも重要だと思うが , 自分の感情も良く分かるようになる. まず , 表現するというプロセスを経るし , さらにその表現したものに対して相手が応じてくれることで再度自分に言い聞かせるというプロセスも経る. そのときに自分がどう感じるか. ここを内省することが自分をより理解することに繋がる.

 

とはいうものの , 私もそうだったから言えるのであるが , 自分をオープンにしたことのない人がこの感覚を得るのは容易ではない. 自分をオープンにしましょー!なんて言ってできるのであれば苦労はしない. 意識的にしろ , 無意識的にしろ , それが良いとみんな思っている. 言いたいことを言いたい!そこをどうやって突破するか?

私の例ではあるが , 圧のかかるフィードバックが一つの解だと思う.

次のポストでは , 私の例を紹介したい.

 

 

ざわつく言葉集1 起業

心が動く , なんだか苦しい , モヤモヤする

これに気づくための手法の一つが禅だと思っているけど , 気づいたときになぜそのような状況に自分がなったのか(内省の一つ)を考えるのが大切だと思う.

「起業」という言葉には , 私はざわつきを覚えるので , 少なくとも先ほどあったシチュエーションおいてなぜざわついたのかを記録する.

 

事実は , まず連絡から始まる. ある企業の社長が , 私が参加している塾にやってくる. 今朝決まり , 午前に来る. 会いたい人は塾の現場にどうぞ!というものだった. 連絡を受け取った際 , 格別その企業か , どんな社長か , 知らなかったので , そこで心境変化は特になし. そこで , どんな企業だろう?どんな社長だろう?ということで調べてみたところ. 起業から約15年ほどたったベンチャーであることが分かる. なるほど. 企業概要を見たところ , 沿革ということで , 各フェーズでの写真(作業場 , 職場)が載っていた.

 

そこで , 少しぐっときた.

 

なぜか?

 

その写真を見て , 私はこう認知したのだと思う.

 

ああ , 「解放」されている. その作業場は , 職場とは程遠い , コンクリが見える8畳程度の部屋に椅子とネット回線とがあるだけなのだが , 私はそこに「束縛されていない状態」を認知したのだと思う.

 

勿論 , その写真を見て , 「何もない」とか , 「まさしく起業したてですね」とか , 「資金繰り大丈夫か?」とか , 色々な認知の仕方があるのだろうが , 私がなした認知はそれだった.

そして , 事実ではなく , その認知した結果に基づいて心のざわつきを覚えたのである. これは別にコメントしようとは思うが , 人は事実に対して感情を覚えたり , 行動を起こすのではなく , 事実に対する自分の認知に対して感情を覚えたり , 行動を起こすらしい(ABC理論). あの写真からでは , 例えば , 金銭的に余裕があるとはとても認知できないし , 一方 , どの程度の労働時間を費やしているのかも分からない. 損益計算書も見ていないし , 社会に対してどのように貢献しているのかも薄っすらとしか知らなかった. 私は , 起業という言葉にざわつきを覚えたのではなく , あの部屋を見て , 解放感 , 自由感を感じ取り , それに対してざわつきを覚えたようである.

 

私のキャリア・アンカー(これもまた別途コメントする)をチェックした時には , 「自律・独立」「生活様式」がツートップで , どちらだ!?と言われたら「生活様式」だと思っている.

そういう意味では , 「自律・独立」というキャリア・アンカーはそれほど間違っていないように思える.

少なくとも , 「保障・安定」は相対的には強くはなさそう.

リンク

なぜ , 座禅をする必要があるのか?なるほど , 確かにイマイチ腑に落ちていなかった. 世間で座禅だ , 内省だ , セルフアウェアネスだ , ともてはやされているが , なぜ?今回理由の一つが私なりに出たので記録しておきたいと思う. 1週間後には違うことを言っているかもしれないが.

 

心や体の僅かな変化を捉えるためではないだろうか.

 

「禅」とは何か?

あえて一言で申せば , 「なりきり」ということです.
「なりきり」とは無我無心の境地であり , これこそ悟りの世界に最も合理的に通じる手段なのです.

引用元:http://www.saikoji.net/ques/ques12.html

 

この「無我無心の境地」というのがポイントだと思う. 例えば座禅をしていると分かる. 自分の呼吸や鼓動 , 周囲の音 , 風が吹いていればその風による肌の感覚.

日々仕事に追われているとこういった感覚をつい忘れてしまいがちである. 歩いている時 , お風呂に入っている時 , あまつさえご飯を食べている時でさえ何かを考えている. 歩いているとき , 足の裏から伝わってくる大地(ほとんどコンクリートだけど!!)の感覚. お風呂に入っている時 , 肌で感じる水の感覚 , 手で感じる洗う際の体や髪の毛の感覚. ご飯を食べている時 , 舌で感じる味 , 匂い.

私たちには五感(もしかしたら第六感も?)があり , 自分の周囲から様々なメッセージをいただいているのにそれを無視している. そして , 無視し続けた結果 , 無感になっているような気がする.

自分の周囲だけではない. 内省という文脈では , 自分の内側についても無感になっている. 感情の僅かな変化 , 喜び , 怒り , 愛おしい , 楽しい , もっともっと豊かに感じることができるはずなのに , 無感になっている現実がある. この結果 , たとえば , 「○○さんは何が好きなんですか?」とか「どういったことをしているときに喜びを感じるんですか?」と言ったことを聞かれたときに , とっさに答えられない. 勿論 , 喜び , 嬉しい , といった感情はある. ただ感情の変動度合いとしてみたとき極めて小さく , 微細になっていて , これといって拾い上げることができない.

こんな状態で , 無我無心の禅とは逆の状態である思考する , すなわち , 内省ができるはずがない. なぜなら , 省みる対象を捉えることができないのだから.

禅は座っている状態が基本のようだが , 立っている時 , ご飯を食べている時 , 歩いている時 , いかなる時も可能とのこと. 今のところ座禅をする時間が十分に取れるわけではないので , その他の行動をしている時から禅を開始したいと思う.