書籍

他のページからの引用の目的も含めて, 学んだ内容を公開しています.

生き方

  • リンダ・グラットン , アンドリュー・スコット 「LIFE SHIFT 100年時代の人生戦略」

“いまこの文章を読んでいる50歳未満の日本人は , 100年以上生きる時代 , すなわち100年ライフを過ごすつもりでいたほうがいい”

“生涯を通じて「変身」を続ける覚悟をもたなくてはならない”

“お金と仕事の面だけを見ていては , 人間の本質を無視することになる . 長寿がもたらす恩恵は , 基本的には目に見えないものだ . ・・・お金に換算できない要素 , つまり無形資産に光を当てる . “

所感:書籍 の中では 無形資産 をさらに , ① 生産性 資産 (スキル , 知識 , など) , ② 活力 資産(健康 , 友人 関係 , 家族 との関係 , など) , ③ 変身 資産 ( 自己認識 , 多様性 のある ネットワーク , 挑戦 への 積極性 , など)に分けて言及しており , ポスト 資本主義 の一つの可能性を描いている . 外的 変化 に重きを置いて議論している点に片手落ち感はあるが , その変化に対してどのような 意識 または 内面 を持つべきかを 考えさせられる一冊である .

  • 広井良典 「 ポスト資本主義 」

Kremer (1993)

Delong(1998)

Yoshinori (2015)

“二十一世紀における(第四の)拡大・成長と定常化との間で , 数百年ないし数千年単位の歴史の大きな分岐点あるいは両者の”せめぎ合い”の時代に立っていると考えてよい”

所感:読んだときには 衝撃 を受けた , としか言いようがなかった . 私が以前よりなんとなく抱いていた 違和感 , 当時の私の表現であるが「 成長 してどうするの?」「 社会全体の成長率 がこんなに鈍化しているのに個々(個人または会社)の 成長 って , 誰かが割を食っているだけでは?」としていたものを解き明かしている . LIFE SHIFT において「 エクスプローラー 」なる時期が提唱されているが , 私は , この「 エクスプローラー 」と , 「 ポスト 資本主義 」における 定常化 社会 における「 多様化 」と , に 結び付き を感じる . なぜ , 「 エクスプローラー 」が現れ始めたのか? 地球 という 資源 の 限界 を感じ始めた我々が 深層無意識 において「 多様化 」せざるを得ない状況になっているのではないか . その「 多様化 」を実現するために「 エクスプローラー 」に , 自分が何をすべきか を考えざるを得ないのではないか . 私のビジョン 「 個人 が自分の 生 を精一杯生きている状態 」に影響を与えた一冊である .

  • 広井良典 , 大井浩一  編 「 2100年へのパラダイム・シフト 」

“16~17世紀から続いた「市場経済プラス拡大・成長」としての資本主義システムが , 成熟化ないし定常化する時期を迎えつつある・・・育大・成長の”急な坂道”をの上る時代には , ・・・集権的かつ一元的なベクトルのもとで社会が動いていく . しかしそうしたベクトルが後退する定常化時代には , ・・・活動主体も多元的になって , さらに地球上の各地域も一つの方向にむかうのではなく , むしろ多様化していく”

セルジュ・ラトゥーシュ “(経済の専利支配に全面的に服従する)社会では , 与えられた時間の中で常により多くの商品を生産することが求められています . ・・・生活のテンポはあまりにも速くなり , 「現在」の感覚さえも失われています . 確かに , わたしたちは , 昔よりも長生きしています . しかし , 意味ある生を送るための時間を得たことはかつて一度もありませんでした . ” , “時間を取り戻し治癒するためにも , 今すぐに脱成長社会を構築しなければなりません . 距離を短縮し , 生活を地域に根ざし , スローな生活を発見・再評価する . 労働時間を短縮し , 製品の耐用年数を伸ばし , ・・・「観照的生活」を再発見する . わたしたちは速度への執着から解放され , 時間と生活の奪還へと向かわなければなりません . ”

渡辺 靖 “私は「西洋の行き詰まり」論に与しない . むしろ「再帰的近代」の可能性を信じている . 近代には女性や有色人種 , 身障者などを排除し , 環境に極度の負担をかけながら「成長」に邁進した時期があったが , それを自省し修正しようとする試みを論理的・倫理的に後押ししているのも , また近代である . “

所感:当サイトの趣旨から , 総論と第二部にフォーカスした . ポスト資本主義の世界について定常か社会に近い世界観をもって研究 , 活動をされている方が世界中にいらっしゃることが一つの発見 . 次は , セルジュ・ラトゥーシュ氏の時間に対する言及である . 冷蔵庫 , 電子レンジ , 炊飯器 , 食洗器 , 「時短」を実現する家具はいくらでも出てきているのに , 口を開けば「時間がない , 時間がない」 , だったら昔の人はどうやって生きていたんだ!?ってことになる . 時間に対する考え方そのものを変える , 具体的には「スローな生活を発見・再評価する」ことの必要性を改めて認識させられた . 最後は , 渡辺靖氏のコメントである . 東洋”的”なパラダイムから16世紀に始まった西洋”的”(具体的な表現が難しいので , 恐縮だが東洋”的” , 西洋”的”なる表現を使わせていただいた)な価値観に移行し , これからその次の価値観に我々は移行していくことはまずは間違いないと思うが , その方向性として , 当書籍に登場する大抵の識者は比較的強く東洋”的”な方向を示唆しているに対して , 渡辺氏は西洋”的”な価値観を残しつつ , そこから少し東洋”的”な価値観に移行するのではないか , と述べているように思われた . 傾向には波があるが , 東洋から西洋 , そして西洋の次は東洋”的”な価値観と西洋”的”な価値観とが統合されたものになっていくことが書籍全体を通して感じられた . 上記「ポスト資本主義」と合わせて , 次の100年の人類の方向性の一つを知る上で価値があった .

  • 村上 泰亮 「 文明の多系史観 」

“そもそも人間には、能動的に突破を求める性向と、受動的に調和を求める性向との二つの面があるだろう。たとえば、有史宗教の中でも、キリスト教は前者を潜在的に含み、ヒンヅー教・仏教・儒教などの東方型宗教は後者を明示的に体系化している。人間の歴史的な営みの中でも、進歩と安定、あるいは発展性と恒常性の二つのテーマは、対位法の形で現われてくるにちがいない。農業社会段階の前半期は一様な進歩のテーマが主導しており、そして現在までの産業社会段階前半期のライトモチーフも、明らかに進歩であった。しかし、それらの間に挟まれた農業社会後半期のモチーフは、多様性と恒常性ではなかったろうか。農業社会段階の資源・技術のパラダイムがある程度限界に達したとき、人類の関心は「生産」の拡大から「文化」の深化に向かったのではなかったろうか。もしもこの捉え方が正しいとすれば、東方型有史宗教に基づく中国やインドの文明は、まさしく農業社会段階後半期の主役として再評価されることになるだろう。”

“欧米人の多くは、自分たちの歴史が人類史の基本形だと考えてきたが、ヨーロッパ史すなわち人類史といってもよい状況が生じたのは、最近数百年来、とくに産業化の力で世界を支配した十九世紀以来のことであり、それまでは、ヨーロッパ社会も地球の上で異例の存在であった。・・・中国、インド、ビザンチンなどの諸帝国秩序が、一千年を超えて周辺の諸民族を吸収してほとんど変わらぬ社会相を維持し続ける姿に何より強い印象を受けただろう。”

“農業社会と産業社会との間にもある種の類似があるようにもみえる。産業社会前半のこれまでの時期には、単系的進化論が流行しそれに相応しい事実もあった。しかし、産業社会も、いつかは初期の組織原則ーおそらくは個人主義と分権化の欧米型原則ーの連続的進化の局面を離れて、複合化をめざす後半期に入るのかもしれない。”

所感:少なくとも2017年の現在もスタンダードとなっていると思われる価値観(便宜上これを欧米に起因する価値観、と呼ぶが)に対して違和感を感じていた自分にとっては同意できることを述べられている。すなわち、進歩や発展というテーマがこれまでの主であったがたために、それにあった能動的な突破を求める性向()を体系化しているキリスト教、すなわち欧米に起因する価値観が比較的快く迎えられていた。しかし、リソースに限界がある時点で、地球という枠に限界がある時点で、進歩や発展は永久に続くわけではなく、安定や恒常性、もしくは持続可能性といったテーマが次第に前に出てこざるをえない。その局面においては、欧米に起因する価値観がそのテーマを阻害せざるを得ず、受動的な調和(愛)を求める性向が今まで以上に迎え入れられることになる、という捉え方である。たしかに、「多様性」が一つのキーワードとして捉えられている昨今にも非常に親和性がある捉え方である。

一つ確認しておくべきなのは、中国・インドでの有史宗教およびギリシャ・ローマの流れを組むキリスト教やイスラム教といった有史宗教のそれぞれは別の径路を経て受け継がれてきたのであり、それらの間に優劣はない、ということ。そして、2017年の今、キリスト教・イスラム教を中心とする欧米に起因する価値観からの揺り戻しが起こっているということだと思う。そして気を付けなければいけないのは、この後、儒教やヒンズー教を中心とする価値観に”完全”に戻りきるのではないということである。一つの可能性として、儒教やヒンズー教を中心とする価値観と、キリスト教やイスラム教を中心とする価値観と、を統合したような”思想”が要求されるのだろうか。

意識変容

  • ウィリアム ・ ブリッジズ 「 トランジション」

“「トランジション」とは , 心理的に変わることであり , 古い状況から抜け出し(終わり) , 過渡期のどっちつかずの混乱を経験し(ニュートラルゾーン) , それから新しい状況に向かってふたたび前進し始める(新たな始まり)ことから構成される .”

“新しいものを手に入れる前に , 古いもの離れなければならない”

“「人生で , 今まさに手放すべきものは何か」「人生の舞台の袖で出番を待っているものは何か」”

所感 :書籍内 では「 内面 」と 表現されている ところの 人の 意識 の 変化 の プロセス を著者の実体験 を 具体例 として示しつつ , 心の底 から 共感 できる 表現 で 描いている . 多くの人の 座右 の書 となっている 理由 が 分かる . 自分が何をすればよいか分からない , 自分が何をしたいのか分からない , 見失ったとき , または見失うことを想定して読むべき本である .

  • アダム・カヘン 「未来をかえるためにほんとうに必要なこと」

“行き詰りたくないなら、人間の相互依存性を認め、協力し、進むべき正しい道を感じることが必要だ。だけでなく、も発揮することが必要だ”

”「ジレンマ」とは、二つの問題からなる難問を指す。どちらかを強く追い求めると、全体の健全さが損なわれるため、もう一方によってバランスをとる必要がある。”

“対照的な価値観が非常に対立しているように見えるのは、今ある一瞬に両方が提示されるからだ。現実には、時間はこうした対照に折り合いをつけるものなのである”

“人が進むべき道を見つけるのは、必ずしもよい戦略や地図があるからではなく、「行動を開始し、あるコンテクストではっきりと把握できる結果を生み出し、その助けを借りて、今何が起きているか、何の説明が必要か、次に何をすべきかを知る」からだ”

“私たちが持てる力と愛を余すことなく発揮するのを妨げている者はなんだろうか。恐れだ。誰かを怒らせたり、傷つけたりするのを怖れるから、断固ととした態度や血からを抑制するのであり、気まずい思いをさせられたり、傷つけられたりするのを恐れるから、オープンさや愛を抑制するのだ。私たちは、恐れに私たちが完全になるのを妨げる行為を許してしまうという機能不全に陥っている。私たちが進むべき道は、・・・恐れを通り抜ける道だ。”

所感:感銘を受けた理由は、社会変革におけるチーム作りやファシリテーション、大きくは国の在り方、人と生態系との関係を「力」と「愛」の構造で把握しただけにとどまらず、”人の中”においても「力」と「愛」なる対立構造が存在し、それによってジレンマに陥っていることを見抜いたことにある。確かに、自分自身においても自己実現を果たしたい「力」と、それに偏り過ぎた場合において、家族や友人と間での「愛」がおざなりになってしまうこと、逆に「愛」に偏り過ぎた場合において、自己実現を果たしたい、「力」を発揮したい自分の中に葛藤を感じることがある。氏によると「力」と「愛」の間を滑らかに移動するべく、またバランスを取りつつ、歩を進めていくことが、人間としての成長なのである。

なお、「七つの習慣」にいう第1~第3の習慣が「力」に、第4~第6の習慣が「愛」に対応していると思われる。また、「アドラー心理学」における、自立すること・私には能力があるという意識が「力」に、社会と調和して暮らせること・人々はわたしの仲間であるという意識が「愛」に対応していると思われる。併せて確認しておくべきと考える。