投稿者「tomokazu otani (大谷友和)」のアーカイブ

tomokazu otani (大谷友和) について

1984年生まれ、男。2017年6月現在の家族構成は、4歳女の子、2歳女の子、妻との4人。4歳、2歳の子を保育所に預けて、妻と私はサラリーマンのダブルインカム。今のところの住まいは、駅10分以内の3DKで、家賃は約9万。 近いうちに新しい家族(女の子)が生まれ、5人構成となる予定。

羨ましい、欲しい、と思う心

アドラーの個人心理学(別途アップ予定)においても , 私のメンター(今は心のメンターだけど , いつか実際に相談したい)においても , 自己受容 , すなわち「ありんのままの自分を受け入れる」ことが第一歩だと言われている.

「ありのままの自分」は観察と内省とによって見つけていくものだけど , とはいっても自分一人で自分を見つけていくことは難しい. だって , 尺度もないのに , 絶対なんて分からない. 誰かからフィードバックを受けて , それによって自己と他者とを相対化し , その結果 , 自己を認識していけるものだと思う.

 

一つ , 他人の積極的な力を借りずに , 相対化し , 内省できる方法がある.

他人の状態 , 成果 , 行動 , 物を見て , 自分が羨ましい , 欲しい , と思う瞬間を見つけることである.

 

羨ましい , 欲しいと思うということは逆を返すと , 少なくとも「自分には無い」ということである. さらに , 羨ましい , 欲しいと思うということは , 「自分のありたい状態に近いか , 少なくともかすっているんだ」と思う. もちろん , そのありたい状態を言語化している場合もあれば , まだ言語化できていない場合もあるとは思うけど.

 

例えば , 私が羨ましいと思う状態は , 束縛されることなく , 自分にとって新しいこと(世間一般の認識として新しいかどうかは別)に挑戦している状態である. そのため , すごい田舎に移住して農業をして過ごしています , とか , 小さくてもいいから多種のビジネスを手掛けています , とか , 世界中を旅しています , とか , 聞くとすごく羨ましい. 勿論 , その陰には苦労があって本来はそこも含めて , 羨ましいと感じるのがより望ましいのかもしれないけど.

 

関連することでもう一つ.

興味がわかなかったことも同時に観測出来ると思う. 私で言えば , お金とか , 地位とか , にはあまり興味は沸かない. お金があることで , 業務に拘束されない , という点には興味はわく. つい最近まで金銭的に恵まれることと , 拘束されないこととの間で自分の興味対象を勘違いしてたけども.

興味が湧かなかった対象 , 自分の認知も記録していくとさらに自分が分かりそうである. ああ , そうはなりたくないんだな , 自分 , って.

 

ざわつく言葉集1 起業

心が動く , なんだか苦しい , モヤモヤする

これに気づくための手法の一つが禅だと思っているけど , 気づいたときになぜそのような状況に自分がなったのか(内省の一つ)を考えるのが大切だと思う.

「起業」という言葉には , 私はざわつきを覚えるので , 少なくとも先ほどあったシチュエーションおいてなぜざわついたのかを記録する.

 

事実は , まず連絡から始まる. ある企業の社長が , 私が参加している塾にやってくる. 今朝決まり , 午前に来る. 会いたい人は塾の現場にどうぞ!というものだった. 連絡を受け取った際 , 格別その企業か , どんな社長か , 知らなかったので , そこで心境変化は特になし. そこで , どんな企業だろう?どんな社長だろう?ということで調べてみたところ. 起業から約15年ほどたったベンチャーであることが分かる. なるほど. 企業概要を見たところ , 沿革ということで , 各フェーズでの写真(作業場 , 職場)が載っていた.

 

そこで , 少しぐっときた.

 

なぜか?

 

その写真を見て , 私はこう認知したのだと思う.

 

ああ , 「解放」されている. その作業場は , 職場とは程遠い , コンクリが見える8畳程度の部屋に椅子とネット回線とがあるだけなのだが , 私はそこに「束縛されていない状態」を認知したのだと思う.

 

勿論 , その写真を見て , 「何もない」とか , 「まさしく起業したてですね」とか , 「資金繰り大丈夫か?」とか , 色々な認知の仕方があるのだろうが , 私がなした認知はそれだった.

そして , 事実ではなく , その認知した結果に基づいて心のざわつきを覚えたのである. これは別にコメントしようとは思うが , 人は事実に対して感情を覚えたり , 行動を起こすのではなく , 事実に対する自分の認知に対して感情を覚えたり , 行動を起こすらしい(ABC理論). あの写真からでは , 例えば , 金銭的に余裕があるとはとても認知できないし , 一方 , どの程度の労働時間を費やしているのかも分からない. 損益計算書も見ていないし , 社会に対してどのように貢献しているのかも薄っすらとしか知らなかった. 私は , 起業という言葉にざわつきを覚えたのではなく , あの部屋を見て , 解放感 , 自由感を感じ取り , それに対してざわつきを覚えたようである.

 

私のキャリア・アンカー(これもまた別途コメントする)をチェックした時には , 「自律・独立」「生活様式」がツートップで , どちらだ!?と言われたら「生活様式」だと思っている.

そういう意味では , 「自律・独立」というキャリア・アンカーはそれほど間違っていないように思える.

少なくとも , 「保障・安定」は相対的には強くはなさそう.

リンク

なぜ , 座禅をする必要があるのか?なるほど , 確かにイマイチ腑に落ちていなかった. 世間で座禅だ , 内省だ , セルフアウェアネスだ , ともてはやされているが , なぜ?今回理由の一つが私なりに出たので記録しておきたいと思う. 1週間後には違うことを言っているかもしれないが.

 

心や体の僅かな変化を捉えるためではないだろうか.

 

「禅」とは何か?

あえて一言で申せば , 「なりきり」ということです.
「なりきり」とは無我無心の境地であり , これこそ悟りの世界に最も合理的に通じる手段なのです.

引用元:http://www.saikoji.net/ques/ques12.html

 

この「無我無心の境地」というのがポイントだと思う. 例えば座禅をしていると分かる. 自分の呼吸や鼓動 , 周囲の音 , 風が吹いていればその風による肌の感覚.

日々仕事に追われているとこういった感覚をつい忘れてしまいがちである. 歩いている時 , お風呂に入っている時 , あまつさえご飯を食べている時でさえ何かを考えている. 歩いているとき , 足の裏から伝わってくる大地(ほとんどコンクリートだけど!!)の感覚. お風呂に入っている時 , 肌で感じる水の感覚 , 手で感じる洗う際の体や髪の毛の感覚. ご飯を食べている時 , 舌で感じる味 , 匂い.

私たちには五感(もしかしたら第六感も?)があり , 自分の周囲から様々なメッセージをいただいているのにそれを無視している. そして , 無視し続けた結果 , 無感になっているような気がする.

自分の周囲だけではない. 内省という文脈では , 自分の内側についても無感になっている. 感情の僅かな変化 , 喜び , 怒り , 愛おしい , 楽しい , もっともっと豊かに感じることができるはずなのに , 無感になっている現実がある. この結果 , たとえば , 「○○さんは何が好きなんですか?」とか「どういったことをしているときに喜びを感じるんですか?」と言ったことを聞かれたときに , とっさに答えられない. 勿論 , 喜び , 嬉しい , といった感情はある. ただ感情の変動度合いとしてみたとき極めて小さく , 微細になっていて , これといって拾い上げることができない.

こんな状態で , 無我無心の禅とは逆の状態である思考する , すなわち , 内省ができるはずがない. なぜなら , 省みる対象を捉えることができないのだから.

禅は座っている状態が基本のようだが , 立っている時 , ご飯を食べている時 , 歩いている時 , いかなる時も可能とのこと. 今のところ座禅をする時間が十分に取れるわけではないので , その他の行動をしている時から禅を開始したいと思う.

ワクワクするものは何か?

7歳ほど年下の友人に壁打ちをしてもらっていたところ

○○さんのワクワクするところって何ですか?

という質問が私に対して出てきた. これが私の難題である. 確かに , ワクワクすること , 熱中することに集中できれば , それに越したことはない. しかし ,

何にワクワクするのかイマイチ分からない.

うーん , 中学 , 高校時代にTVゲームには熱中した. 大学時代にはオンラインゲームに熱中した. 他にあるだろうか?大学時代に1年海外で暮らしていたが , 確かにあのときはワクワクしていた気がする. 高校時代の文化祭でお決まりのお化け屋敷なる出し物をするにあたって , その企画や製作をしている際には少なくとも熱中していた気がする. 責任感に因ったものかもしれないが.

今の職場ではどうだろうか?2つある気がする. 一つは , 経験のない仕事をするとき. 先日ストックオプションの発行対応を依頼されたのだが , さっぱり知らない. 本を読み , Webで調べ , 弁護士にも確認し , 手探りで進めた. ストレスはあったが楽しさは感じていたと思う. 新しいことを学べることが楽しいのか?一歩一歩進む様が楽しいのか?もう一つは , 仕組みを考えている間である. ある目標に向かってピースを一つ一つ考え , 組み上げ , 矛盾が発生すれば解消し , 最終的に様々な要素が一体として動く仕組みを練り上げるプロセスを楽しめている気がする. ゼンマイ仕掛けの時計を組み上げていくような感じだろうか.

そういえばプレゼンを作ることも楽しい気がする. ストーリーを考え , そのストーリをいかに伝えるかを考えつつ , 資料を作り , ストーリーと資料とを微調整して , 一つのプレゼンを作っていく過程 , それも楽しめている気がする. 勿論 , そのプレゼンを認められるとそれはそれで嬉しいが , 一つのプレゼンを作ったことで満足している自分がいると感じる. そのあとのトークはおまけのようなものか.

このあたりにアンテナを張って , 僅かでも心が動いた際には書き留めるようにしてく.