投稿者「tomokazu otani (大谷友和)」のアーカイブ

tomokazu otani (大谷友和) について

1984年生まれ、男。2017年6月現在の家族構成は、4歳女の子、2歳女の子、妻との4人。4歳、2歳の子を保育所に預けて、妻と私はサラリーマンのダブルインカム。今のところの住まいは、駅10分以内の3DKで、家賃は約9万。 近いうちに新しい家族(女の子)が生まれ、5人構成となる予定。

フィードバック を友人から得て, 自分をオープンにする

フィードバック を友人から得て自分がオープンになった例

友人(彼は25歳かな)が「大谷友和 さんって今の生活にそこそこ満足しているんですね. なので , 大谷友和 さんは絶対に変わらない」という フィードバック をくれた. 衝撃だった. 無意識ではあったけど自分が大切にしていることの一つを的確に表現してくれた. それ以降 , 少なくともそれ以前よりは自分が言いたいことを言えていると思う. なんだろう. 私の無意識にあったかなり奥のところにある感情を表現してくれたからだろうか. それより手前の感情を出すことに抵抗を感じない. あそこまで表現したんだから , それ以下を表現するのに何のためらいがあろうか ? みたいな感覚.

この文脈での友人とは ?

この経験以降 , 相手にとって少なからず指摘して欲しくないと推測されるようなことでも相手のことを想いながら フィードバック をしあえる関係(=当サイトにおける友人)を大切にしている. 私の アファメーション 用文章においてもこのことを明記し , またそのような関係になり人との関わり方についても記載している. 会社ではまずない(少なくとも現時点では). 悲しいかな , 大学時代から一緒にいる友達でも , 今思い返せばそういった関係にあるとは言えない. 準備ができていない人に対してこのような フィードバック を与えると , まず拒否反応を示す. 私もある程度受容する準備をしているから何とか受け止めることができたものの , 少し前の自分であれば反論していたように思う. 今はたまたまそういった友人がいるが , 一般論としてそういった友人がいるコミュニティをどうやって作るか , というのは考えていく必要があると思う.

フィードバック になっていない フィードバック

もう一点 , ここは自戒も含めて , 改めて記載したい. MBA等でもそうだけど フィードバック って言葉が躍っている気がする. おそらく(今度確認しよう. . . )最初に使われた文脈では相手にとって少なからず指摘して欲しくないと推測されるようなことでも相手のことを想いながらフィードバック することを指しているんだろうが , 実際はそうなっていない. たとえば , 前記の成績に対して会社の代理としてのマネージャーがどう思ったのかをいうことを フィードバック と呼ばれていることがある. それも勿論 フィードバック に含まれるのだろうが , フィードバック する主体が会社なのであれば , 会社として , その人がどのような人になって欲しいのか , その理想に対してどういった点が今欠けているのか , ということを愛をもって指摘することが フィードバック だと思う.

※2017. 10. 17 追記

それはフィードバック ではなくてモニタリング ですね , とメンタリング のセミナーで講師の方が指摘していた. 確かに.

フィードバック の受容方法

先日妻からもらった フィードバック で , 「貴方は仕事 , 子どもとの関係 , 友人との関係 , 独自に築いているコミュニティ内の人との関係では , 素晴らしいと思うけど , 夫としては駄目だよね」というものがあった . グサッ , っときました . 自分の中では時間の役割(後日アップ)に応じて時間の割り当てを考えていたつもりだったけど , 妻から見るとそう見えているということなんだろう . こういったある程度心に来るフィードバック をどのように受容するか.

私のメンター が教えてくれた魔法の言葉がある.

うけたもう

である. 修験道からきているようで , 私はまだそこについては勉強中であるが , 何らかの言葉をいただいた際には心の中でこの言葉を唱えるようにしている. うけたもう. せかせかと時間をスクロールさせる日々の中で立ち止まり , 身体に受けたものを染み渡らせるための手段としては一考の価値があると思う.

心を開く ことで, 自分の心 に 耳 を 傾ける ことができる

自分の 心を開く ことで,  相互理解 と 内省 とを促進する

心を開く ことで 相手 も 心を開く ことができるようになり, 相互理解 が 驚異的 に 促進する. さらに, 開いた自分の 心 に 耳 を 傾ける ことで 内省 をすることができる.

self disclosure

self disclosure

友人 が言っていたことに, 「大ナタを振るうことに恐怖がある」というものがあった. 確かに. 自分を オープン することについて 怖い 気持ち は , ある.

私も今だからなんとなく言えるけど , 「本当の自分を 評価される ことが 怖い 」「 馬鹿にされる ことが 怖い 」「 恥 をかくことが 怖い 」「“みんなに 良い人 ”だと思われていたい」と, 何らかの 意思決定 をするときにこれらの 気持ち がもたげてくる.

職場においても , そういった言動が落ち着いていると評価される傾向は正直言って, 強い. ある程度グループをまとめる立場, また部門長ないしは役員クラスと話す機会が出てくる立場になってきて, 言いたいことが なかなか 言えない (と勝手に思い込んでいた. 本当はそうではない, 自分が言いたいことを言えばいいし, 自分を感じたことをぶつければいいのである. )機会が増えていた.

その機会に どっぷりつかり, それが“ 普通 ”になると, 自分の 言いたいこと か何か分からなくなる. その症状がさらに進行すると, 自分が「 本当に 」 何を 感じているのか 分からなくなる.

認知 を変える

しかし, 今は違う 認知 をしている.

例えば , 評価なんて気にしていられない , 馬鹿にされない方が良いとは思うが馬鹿にされてもいい , 良い人だと思われるに越したことはないがそうでなくてもいい. 極論すれば , 数人でいい , 本当に 本音 で話せる 友人 が10人中1人 , 2人と増えれば , 他の8人とは無関係に終わってもいい , と思うようになってきた.

そう思えるようになると肩の力がすっと抜けた感じがして , 以前よりかなり自分をオープンに出来るようになってきた.

自分をオープンにするための手法の一つとしては, ある種「筋トレ」をすることである. つまり, 「本当の自分を評価されることが怖い」といった恐怖を受け入れながら, 自分をオープンにすることを継続するのである.

実体験:心の筋トレ

やはり, 「自分をオープンにする」ということを実践させてくれた場が良かったのだと思う. 参加するメンバーの間に利害がなく, 互いにサポートしあおうという暗黙の了解があり, 何をオープンにしても受け止めてくれる. 勿論, 厳しい指摘もときにはあるかもしれないが, 何より相手を思って, または自分を思ってくれての指摘だと思えば受け止めることができる.

実体験:もう一つの実践としての, 運動

相互に理解のある友だちの間であれば良いが, そこ以外で自分をオープンにすると, 勿論, 良いレスポンスもあるのだが, 受け入れがたいレスポンスもないわけではない. そこで, 運動し, 運動することで受け入れた自分に自信をつけ, 相手に多少何を言われても動じなくするのである.

 

自分 の 心を開く ことの 効果

自分をオープンにすると何がいいか ? 相手にも同じ認知があることは前提にはなるが, 相手もオープンになり , 共有している時間はそれほど長くはないものの表面的な話ではなく身の上話をできるようになる.
本当は何をしたいのか, 何をしたくないのか, 何に苦しんでいるのか, 通常では表現できないことを共有できるようになる. その結果 , 相手のことが良くわかるようになる.
さらに, 自分の感情も良く分かるようになる.
まず , 自分を表現するというプロセスを経るし , さらにその表現したものに対して相手が応じてくれることで再度自分に言い聞かせるというプロセスも経る. そのときに自分がどう感じるか. ここを内省することが自分をより理解することに繋がる.
自分の心を開くということに動機を感じている人は恐らく少ないだろう. ただ, 自分の心を開くことが出来ていないという認知はできるのではないだろうか. そうであれば, 試してみる価値はあると思う.

 

心の筋トレを実践するにあたって壁を感じることもあると思う. これを表現していいのだろうか ? どんな反応が返ってくるのだろうか ?
私の例ではあるが , その壁を超えるための方法の一つが「 圧のかかるフィードバック」であった.
次のポストでは , 「圧のかかるフィードバック」の例を紹介したい.

フィードバック を友人から得て, 自分をオープンにする

「参画する一人一人が創造したい自分になっていること」をビジョンとして活動しています.
心の筋トレをする場としての目的もあります. 興味がある方は是非!
木曜会:http://recreate.jpn.org/home/
http://recreate.jpn.org/home/

羨ましい、欲しい、と思う心

アドラーの個人心理学(別途アップ予定)においても , 私のメンター(今は心のメンターだけど , いつか実際に相談したい)においても , 自己受容 , すなわち「ありんのままの自分を受け入れる」ことが第一歩だと言われている.

「ありのままの自分」は観察と内省とによって見つけていくものだけど , とはいっても自分一人で自分を見つけていくことは難しい. だって , 尺度もないのに , 絶対なんて分からない. 誰かからフィードバックを受けて , それによって自己と他者とを相対化し , その結果 , 自己を認識していけるものだと思う.

 

一つ , 他人の積極的な力を借りずに , 相対化し , 内省できる方法がある.

他人の状態 , 成果 , 行動 , 物を見て , 自分が羨ましい , 欲しい , と思う瞬間を見つけることである.

 

羨ましい , 欲しいと思うということは逆を返すと , 少なくとも「自分には無い」ということである. さらに , 羨ましい , 欲しいと思うということは , 「自分のありたい状態に近いか , 少なくともかすっているんだ」と思う. もちろん , そのありたい状態を言語化している場合もあれば , まだ言語化できていない場合もあるとは思うけど.

 

例えば , 私が羨ましいと思う状態は , 束縛されることなく , 自分にとって新しいこと(世間一般の認識として新しいかどうかは別)に挑戦している状態である. そのため , すごい田舎に移住して農業をして過ごしています , とか , 小さくてもいいから多種のビジネスを手掛けています , とか , 世界中を旅しています , とか , 聞くとすごく羨ましい. 勿論 , その陰には苦労があって本来はそこも含めて , 羨ましいと感じるのがより望ましいのかもしれないけど.

 

関連することでもう一つ.

興味がわかなかったことも同時に観測出来ると思う. 私で言えば , お金とか , 地位とか , にはあまり興味は沸かない. お金があることで , 業務に拘束されない , という点には興味はわく. つい最近まで金銭的に恵まれることと , 拘束されないこととの間で自分の興味対象を勘違いしてたけども.

興味が湧かなかった対象 , 自分の認知も記録していくとさらに自分が分かりそうである. ああ , そうはなりたくないんだな , 自分 , って.

 

ざわつく言葉集1 起業

心が動く , なんだか苦しい , モヤモヤする

これに気づくための手法の一つが禅だと思っているけど , 気づいたときになぜそのような状況に自分がなったのか(内省の一つ)を考えるのが大切だと思う.

「起業」という言葉には , 私はざわつきを覚えるので , 少なくとも先ほどあったシチュエーションおいてなぜざわついたのかを記録する.

 

事実は , まず連絡から始まる. ある企業の社長が , 私が参加している塾にやってくる. 今朝決まり , 午前に来る. 会いたい人は塾の現場にどうぞ!というものだった. 連絡を受け取った際 , 格別その企業か , どんな社長か , 知らなかったので , そこで心境変化は特になし. そこで , どんな企業だろう ? どんな社長だろう ? ということで調べてみたところ. 起業から約15年ほどたったベンチャーであることが分かる. なるほど. 企業概要を見たところ , 沿革ということで , 各フェーズでの写真(作業場 , 職場)が載っていた.

 

そこで , 少しぐっときた.

 

なぜか ?

 

その写真を見て , 私はこう認知したのだと思う.

 

ああ , 「解放」されている. その作業場は , 職場とは程遠い , コンクリが見える8畳程度の部屋に椅子とネット回線とがあるだけなのだが , 私はそこに「束縛されていない状態」を認知したのだと思う.

 

勿論 , その写真を見て , 「何もない」とか , 「まさしく起業したてですね」とか , 「資金繰り大丈夫か ? 」とか , 色々な認知の仕方があるのだろうが , 私がなした認知はそれだった.

そして , 事実ではなく , その認知した結果に基づいて心のざわつきを覚えたのである. これは別にコメントしようとは思うが , 人は事実に対して感情を覚えたり , 行動を起こすのではなく , 事実に対する自分の認知に対して感情を覚えたり , 行動を起こすらしい(ABC理論). あの写真からでは , 例えば , 金銭的に余裕があるとはとても認知できないし , 一方 , どの程度の労働時間を費やしているのかも分からない. 損益計算書も見ていないし , 社会に対してどのように貢献しているのかも薄っすらとしか知らなかった. 私は , 起業という言葉にざわつきを覚えたのではなく , あの部屋を見て , 解放感 , 自由感を感じ取り , それに対してざわつきを覚えたようである.

 

私のキャリア・アンカー(これもまた別途コメントする)をチェックした時には , 「自律・独立」「生活様式」がツートップで , どちらだ! ? と言われたら「生活様式」だと思っている.

そういう意味では , 「自律・独立」というキャリア・アンカーはそれほど間違っていないように思える.

少なくとも , 「保障・安定」は相対的には強くはなさそう.

リンク

なぜ , 座禅をする必要があるのか ? なるほど , 確かにイマイチ腑に落ちていなかった. 世間で座禅だ , 内省だ , セルフアウェアネスだ , ともてはやされているが , なぜ ? 今回理由の一つが私なりに出たので記録しておきたいと思う. 1週間後には違うことを言っているかもしれないが.

 

心や体の僅かな変化を捉えるためではないだろうか.

 

「禅」とは何か ?

あえて一言で申せば , 「なりきり」ということです.
「なりきり」とは無我無心の境地であり , これこそ悟りの世界に最も合理的に通じる手段なのです.

引用元:http://www.saikoji.net/ques/ques12.html

 

この「無我無心の境地」というのがポイントだと思う. 例えば座禅をしていると分かる. 自分の呼吸や鼓動 , 周囲の音 , 風が吹いていればその風による肌の感覚.

日々仕事に追われているとこういった感覚をつい忘れてしまいがちである. 歩いている時 , お風呂に入っている時 , あまつさえご飯を食べている時でさえ何かを考えている. 歩いているとき , 足の裏から伝わってくる大地(ほとんどコンクリートだけど!!)の感覚. お風呂に入っている時 , 肌で感じる水の感覚 , 手で感じる洗う際の体や髪の毛の感覚. ご飯を食べている時 , 舌で感じる味 , 匂い.

私たちには五感(もしかしたら第六感も ? )があり , 自分の周囲から様々なメッセージをいただいているのにそれを無視している. そして , 無視し続けた結果 , 無感になっているような気がする.

自分の周囲だけではない. 内省という文脈では , 自分の内側についても無感になっている. 感情の僅かな変化 , 喜び , 怒り , 愛おしい , 楽しい , もっともっと豊かに感じることができるはずなのに , 無感になっている現実がある. この結果 , たとえば , 「○○さんは何が好きなんですか ? 」とか「どういったことをしているときに喜びを感じるんですか ? 」と言ったことを聞かれたときに , とっさに答えられない. 勿論 , 喜び , 嬉しい , といった感情はある. ただ感情の変動度合いとしてみたとき極めて小さく , 微細になっていて , これといって拾い上げることができない.

こんな状態で , 無我無心の禅とは逆の状態である思考する , すなわち , 内省ができるはずがない. なぜなら , 省みる対象を捉えることができないのだから.

禅は座っている状態が基本のようだが , 立っている時 , ご飯を食べている時 , 歩いている時 , いかなる時も可能とのこと. 今のところ座禅をする時間が十分に取れるわけではないので , その他の行動をしている時から禅を開始したいと思う.

ワクワクするものは何か?

7歳ほど年下の友人に壁打ちをしてもらっていたところ

○○さんのワクワクするところって何ですか ?

という質問が私に対して出てきた. これが私の難題である. 確かに , ワクワクすること , 熱中することに集中できれば , それに越したことはない. しかし ,

何にワクワクするのかイマイチ分からない.

うーん , 中学 , 高校時代にTVゲームには熱中した. 大学時代にはオンラインゲームに熱中した. 他にあるだろうか ? 大学時代に1年海外で暮らしていたが , 確かにあのときはワクワクしていた気がする. 高校時代の文化祭でお決まりのお化け屋敷なる出し物をするにあたって , その企画や製作をしている際には少なくとも熱中していた気がする. 責任感に因ったものかもしれないが.

今の職場ではどうだろうか ? 2つある気がする. 一つは , 経験のない仕事をするとき. 先日ストックオプションの発行対応を依頼されたのだが , さっぱり知らない. 本を読み , Webで調べ , 弁護士にも確認し , 手探りで進めた. ストレスはあったが楽しさは感じていたと思う. 新しいことを学べることが楽しいのか ? 一歩一歩進む様が楽しいのか ? もう一つは , 仕組みを考えている間である. ある目標に向かってピースを一つ一つ考え , 組み上げ , 矛盾が発生すれば解消し , 最終的に様々な要素が一体として動く仕組みを練り上げるプロセスを楽しめている気がする. ゼンマイ仕掛けの時計を組み上げていくような感じだろうか.

そういえばプレゼンを作ることも楽しい気がする. ストーリーを考え , そのストーリをいかに伝えるかを考えつつ , 資料を作り , ストーリーと資料とを微調整して , 一つのプレゼンを作っていく過程 , それも楽しめている気がする. 勿論 , そのプレゼンを認められるとそれはそれで嬉しいが , 一つのプレゼンを作ったことで満足している自分がいると感じる. そのあとのトークはおまけのようなものか.

このあたりにアンテナを張って , 僅かでも心が動いた際には書き留めるようにしてく.