羨ましい、欲しい、と思う心

アドラーの個人心理学(別途アップ予定)においても , 私のメンター(今は心のメンターだけど , いつか実際に相談したい)においても , 自己受容 , すなわち「ありんのままの自分を受け入れる」ことが第一歩だと言われている.

「ありのままの自分」は観察と内省とによって見つけていくものだけど , とはいっても自分一人で自分を見つけていくことは難しい. だって , 尺度もないのに , 絶対なんて分からない. 誰かからフィードバックを受けて , それによって自己と他者とを相対化し , その結果 , 自己を認識していけるものだと思う.

 

一つ , 他人の積極的な力を借りずに , 相対化し , 内省できる方法がある.

他人の状態 , 成果 , 行動 , 物を見て , 自分が羨ましい , 欲しい , と思う瞬間を見つけることである.

 

羨ましい , 欲しいと思うということは逆を返すと , 少なくとも「自分には無い」ということである. さらに , 羨ましい , 欲しいと思うということは , 「自分のありたい状態に近いか , 少なくともかすっているんだ」と思う. もちろん , そのありたい状態を言語化している場合もあれば , まだ言語化できていない場合もあるとは思うけど.

 

例えば , 私が羨ましいと思う状態は , 束縛されることなく , 自分にとって新しいこと(世間一般の認識として新しいかどうかは別)に挑戦している状態である. そのため , すごい田舎に移住して農業をして過ごしています , とか , 小さくてもいいから多種のビジネスを手掛けています , とか , 世界中を旅しています , とか , 聞くとすごく羨ましい. 勿論 , その陰には苦労があって本来はそこも含めて , 羨ましいと感じるのがより望ましいのかもしれないけど.

 

関連することでもう一つ.

興味がわかなかったことも同時に観測出来ると思う. 私で言えば , お金とか , 地位とか , にはあまり興味は沸かない. お金があることで , 業務に拘束されない , という点には興味はわく. つい最近まで金銭的に恵まれることと , 拘束されないこととの間で自分の興味対象を勘違いしてたけども.

興味が湧かなかった対象 , 自分の認知も記録していくとさらに自分が分かりそうである. ああ , そうはなりたくないんだな , 自分 , って.

 

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